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杉田庄一物語 その46(修正版) 第五部「最前線基地ブイン」 ムンダ飛行場

 十一月二十四日、日本陸海軍は、ブインとガダルカナル島の中間にあるニュージョージア島のムンダに輸送船団を入港させ人力で滑走路建設を進めた。ソロモン群島にある最南端の航空基地となった。設営は陸軍が担当したが、隊員の多くは暑さに強いということで台湾高砂族の人々が多かった。

 十二月中旬には戦闘機一個戦隊程度の使用を目指した。長さ千メートル、幅四十メートル、掩体壕三十個ができる予定であったが、対空砲も見張り施設も航空基地らしい施設は何一つなかった。ガソリンの入ったドラム缶百本をかろうじて駆逐艦で輸送したのみであった。

 周防元成大尉率いる二五二空の零戦二十四機が進出する。ハエがたくさんいて、あちこちに卵を産みつけ数時間後にはウジになってしまう。血を吸う虫も服の下に忍び込み痒くてたまらない。握り飯も包みから取り出した途端に真っ黒になる程ハエがたかるなど、劣悪な環境だった。

 しかも、どこからか米軍はこのムンダ基地を見張っており、着陸時をねらって戦闘機で攻撃をかけてきた。ガダルカナルの米軍基地から三百キロあまりしか離れていない。米軍からすれば、ガダルカナル島のすぐ目先に日本軍の航空基地があっては目障りで仕方ない。毎日のように攻撃をしかけてきた。十二月中旬になると、二〇四空も杉田もこのムンダ上空哨戒任務を行なっている。

 結局、十二月二十九日にラバウルへ引き上げることになるのだが、日本軍が立ち去った後に米軍が同飛行場を占領摂取する。飛行機で地面が白くなるほどDDT(殺虫剤)を撒いた後に、ブルドーザなどを使ってたちまち整備された滑走路に仕上げた。このことを日本軍は偵察機によって確認、日米の国力の差を痛感することになる。

 十一月二十八日、ガダルカナル島沖の輸送船哨戒任務に三直交代で当たっており、その二直の第二小隊二番機として杉田は出撃している。この日の編成は、二機で小隊を組み二小隊で一中隊という特別なものであった。編成は次のようになっている。なお、飛鷹隊との合同編成である。

一直 飛鷹隊四機(二機編隊二小隊)
二直第一小隊一番機宮野善治郎大尉、二番機山根亀治飛長、同第二小隊一番機大正谷宗市二飛曹、二番機杉田庄一飛長
三直第一小隊一番機澁谷清春中尉、二番機人見喜十飛長、同第二小隊一番機吉松要上飛曹(飛鷹隊)、第二小隊二番機黒澤清一飛長

 この日は、過日戦死した川真田中尉の後任分隊長として異動してきた澁谷中尉が初めて編成に入っている。一直は四時に発進し六時五十分に帰着、二直は五時五十分発進し九時三十分に帰着している。一、二直とも敵とは遭遇していない。三直は八時二十五分に発進して一時間後、五機のB17爆撃機に遭遇し攻撃を加えている。

(国立公文書館アジア資料センターの資料から)
(国立公文書館アジア資料センターの資料から)


 同日から両翼に吊り下げた各二個の三号爆弾を攻撃に使っている。三号爆弾は、重さ三十キログラムで時限信管によって空中で爆発し、傘状に二百個の弾子を降らせる新兵器(クラスター爆弾)であった。弾子は約二十グラムで中には黄燐が入っており、落下中に敵機に当たると空中火災を起こすという仕組みである。

 敵上位に位置し、すれ違い様に投弾することになっていたが、相対速度が速くなる上、照準器もなく勘にたよっての攻撃で熟練を要した。この日の攻撃では三直の四機が二個ずつ投弾したが、機銃掃射も含めて「有効ナル攻撃ヲ加ヘタルモ撃墜スルニ至ラズ」と戦闘行動調書に記録されている。

<引用・参考>


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