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杉田庄一物語 その60(修正版) 第五部「最前線基地ブイン」 い号作戦

 四月三日、連合艦隊司令部がトラック島の戦艦「武蔵」からラバウルに移された。「い号作戦」の指揮を艦隊司令部自ら前線でとるためである。山本長官は、トラック島夏島の水上機基地から幕僚を引き連れ、飛行艇二機に分乗して、ラバウルに向かった。二〇四空では、杉原眞平一飛曹を小隊長に、二番機斎藤章飛長、三番機井石時雄飛長の三機で飛行艇哨戒任務として、カビエン上空まで出迎えに行っている。後日問題となる山本長官前線視察時よりも少なく、しかも下士官が指揮をとっていることを考えると、よくまあ無事でと思わざるを得ない。ここまでは、米軍機は来ないという安心感があったのだろうが、護衛に関するゆるみはここにもあったのではないかと思う。

 司令長官の将旗がラバウル市内の臨時司令部に掲げられた。艦隊司令部が艦隊の旗艦から離れて陸上基地におかれるのは海軍七十年の歴史で初めてのことであった。ラバウルについた山本長官は、搭乗員たちを集めじきじきに訓示を行った。宮野大尉の指示のもと二〇四空の隊員たちは指揮所前に整列し、緊張しながら待っていた。ほどなく山本長官は将旗をかかげた乗用車で現れ、白い第二種軍装に軍刀をもち、指揮所前の壇上に立って訓示を行った。全員を見渡し、「ご苦労」と言ったあと言葉を続けた

「今、われわれはもっとも苦しい戦いを続けている。だが、こちらが苦しいときは敵も苦しいはずである。貴重な母艦の航空勢力をラバウルに進出させたのも、この苦しさを乗り越えて血路を切り開かんがためである。諸子に期待するもの、すこぶる大である。健闘を祈る」

「山本五十六」(阿川弘之、新潮社)

「い号作戦」は、四月七日から十五日にかけて四つの攻撃作戦で組み立てられていた。なお、第三艦隊は母艦航空隊、第十一航空艦隊は基地航空隊である。両航空隊の零戦、艦爆、艦攻を合わせても三百五十機足らずであった。

「X攻撃作戦」
攻撃予定地はガダルカナル島方面で、攻撃参加部隊は第三艦隊・第十一航空艦隊
「Y攻撃作戦」
攻撃予定地はポートモレスビーで、攻撃参加部隊は第三艦隊・第十一航空艦隊
「Y1攻撃作戦」
攻撃予定地はラビ方面で、攻撃参加部隊は第十一航空艦隊
「Y2攻撃作戦」
攻撃予定地はブナ方面で、攻撃参加部隊は第三艦隊


ラバウルに進出していた連合艦隊司令部は、各飛行部隊の出発を連日見送った。山本長官は、トラック島でもそうしていたように、毎回白い二種軍装を着て指揮所に立った。山本は四十五度に広げた「海軍礼式令」にのっとった敬礼を行なっている。山本の左隣に座っているのは南東方面艦隊司令長官草鹿中将である。


<引用・参考>





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