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帽フレの話

子供の頃、風呂に入ると父がいつも戦争の時の話をしてくれた。海軍航空隊の志願兵だった父は、17〜18歳で魚雷整備兵となって九州の基地を転々と動いた。昭和20年、すでに魚雷を積むべき飛行機はなく、爆弾を抱かせて特攻出撃する時代に入ってしまった。父は帽フレの合図で、毎日特攻機を見送る日々だった。

そんな話を小さな子供に話していた父の思いをこの歳になって分かるようになった。

今日は80年目の太平洋戦争開戦記念日だ。

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