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杉田庄一ノート3:令和3年〜生家跡地(小蒲生田)に行ってきた

 生家のあった小蒲生田は、かつて20戸が並ぶ集落だったが、現在住まわれているのは3戸。杉田家のあった場所は、道に即して裏が山になっている。整地して石碑を立てるための溝をつくってあった。

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 山の中腹にあり、南側が開けている。春になると暖かい日差しが入ってくるはずだ。山の中から見える景色は、向かい側の同じような高さの山々と青い空しかない。四季のはっきりした東頸城の山の景色の移ろいの中に空を眺めながら育ったのだなと感ずる。私も四十年前、東頸城の山の中の学校の教員だった。しばし感慨にふける。

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 帰り道で立ち寄った宝台寺の奥様から立ち話でいろいろと昔の話を聴く。戦前から季節保育園をやっていて、杉田庄一も農繁期にはここにあずけられたのだという。宝台寺は閉校した中保倉小学校の真向かいにある敷地の広い大きなお寺だ。

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昨年の75回忌もここの住職にお経を読んでいただいたのだそうだ。

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