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杉田庄一ノート67 昭和19年8月〜9月ダバオに一航艦再建!?

 昭和19年8月3日、テニアンへの敵上陸作戦により角田覚治司令長官以下、司令部員が全員戦死し、飛行機隊も全滅したため第一航空艦隊を新たに作らねばならなくなった。8月7日、フィリピンに戦線を後退しダバオに第一航空艦隊司令部が再建される。8月9日、マニラを出発した寺岡謹平中将は、12日に司令長官としてダバオに着任、将旗を掲げた。作戦ごとにゆさぶられてきた一航艦であるが、ここダバオにとりあえず司令部をおいても第一線基地としては不十分であり、なにもかもが泥縄式の状態だった。作戦ごとに細かく移動する飛行機隊と整備などをこなう地上部隊との分離体制がとられた。空中の作戦については一航艦司令部がたてるが、基地航空隊の管理指揮は26航戦司令官が責任を負った。命令系統が二つになってうまくいくはずがない。また、同地域に展開する海軍と陸軍の共同も全くうまくいっていなかった。飛行場は陸海軍別々にもっていたが、ただでさえ少ない海軍飛行場に一航艦が使うことになり、足りなくなった飛行場の交渉を陸軍と行わなければならなかった。アメリカ軍が陸軍と海軍と海兵隊とが共同作戦をとっているのと比べると大きな違いが見られる。横の連携がとれないのは、現代にいたっても官僚組織の大きな課題だ。

 9月に入り、ようやく司令部が荷をおろし稼働し始めた頃に「ダバオ誤報事件」がおきる。

 9月9日、アメリカ軍機動部隊によるダバオ空襲がある。1日、2日、6日とB-24爆撃機(アメリカ陸軍機)の空襲が続いていたが、この日はダバオを中心にフィリピン各地に400機以上の艦載機(アメリカ海軍機)が来襲し、アメリカ軍機動部隊の大きな動きがあるのでは・・・と警戒体制はピークに達した。そんなピリピリしているところに、サランガニ見張所から「敵水陸両用戦車が百隻陸岸に向かう」という報告が入る。根拠地隊司令部が一航艦司令部に「ダバオに敵上陸」と報告を入れると、ただちに「玉砕戦に備えて設備を破壊し重要書類を焼却せよ」と命令が出される。一航艦各基地の飛行機の大部分はセブ島に一時退避のために集結する。また、連絡を受けた陸軍の現地部隊も無線施設などを破壊し始める。さらに連合艦隊では「捷一号作戦警戒」を発令、大本営では急遽、陸海軍部作戦連絡会議が開かれた。・・・しかし、この報告は三角波の見間違いであった。連日の空襲で神経をやられ、敵上陸を恐れるあまりに海上の白波を見誤ったと言われている。見張り員だけでなく司令部中枢までの連絡系統がみな麻痺していたのであろう。不確実情報に不審を抱いた201航空隊副長の玉井浅一中佐が、独自判断で偵察飛行を行ったところ敵機動部隊を発見することができなかった。
 『昨日正午過ぎ、根拠地隊の方からいろいろと情報が入ってくるが、一発の砲声も聞かなければ敵機の姿もない。不審を抱いて独断で戦闘機を飛ばせたところ、真っ赤な嘘であることがわかった』・・・司令部にかけつけた二航艦の奥宮正武参謀に玉井中佐が嘆くように話した。『陸海軍合わせてたくさんの参謀がいるのだから、誰か一人くらいは裏山にでも上がって見ればよかった。・・・机の上の作戦指導はこんなもんですよ。これから先が思いやられる』・・・痛烈な批判だった。誤報の確認はしかし遅すぎた。

 誤報が確認されたあと、司令部も現地基地も混乱の最中にめちゃくちゃになってしまっていた。重要書類や重要設備の破壊だけでなく、食糧や備品なども各部隊の兵が持ち去っていた。それぞれ玉砕戦にそなえて自分達で用意しなけれならないことを兵たちは身に染みて知っていたのだ。さらに、セブ島に集結した飛行機を各基地に戻すにも設備が破壊されてスムーズにいかなく、12日になっても100機以上がセブ島基地に止まっていた。そこにアメリカ軍艦載機が襲来した。40機がかろうじて邀撃にあがるが、25機が撃墜され14機が不時着大破、地上にあった零戦はほとんどが破壊されてしまう。戦闘306飛行隊長の森井宏大尉も戦死する。250機あった一航艦の零戦が、ほとんど戦わないで12日には99機までに減少してしまう。

 杉田のいた戦闘306戦闘隊もこのダバオ事件に巻き込まれていた。隊長の森井大尉が戦死したので先任分隊長だった菅野直大尉が戦闘306飛行隊の隊長になる。戦場に出て数ヶ月であるにもかかわらず、また、他の3隊の隊長に比べてまだ若造にすぎない菅野大尉であったが、すでに戦歴は十分であった。

 「ダバオ誤報事件」は、水鳥の音に敵軍かと驚いて逃げ出した平家の故事にたとえられることが多く「ダバオ水鳥事件」とも言われる海軍の大失態であった。この頃の日本海軍は、やることなすことが裏目に出てしまい打つべき手もなくなる。寺岡長官が更迭され、後任に大西瀧治郎中将が補される。大西中将はこのあと、第二航空艦隊をも統合した連合基地航空隊を設立し、残された飛行機で一機一艦の特攻作戦を指揮することになる。海軍は事実上壊滅、このとき敗戦にすべきだった。



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