杉田庄一ノート13:令和3年7月23日〜紫電改展示館に行ってきた
ワクチン2回打ってからまず出かけたのが紫電改記念館。実は息子のいる今治市に行くついでなんだけど…
車中泊で泊まった今治市のSAから朝日のさすしまなみ街道の島々。松山基地から30kmくらい東北より、343空の搭乗員たちもこの景色の上を飛んだはずだ。
ここから3時間中国山地の山々の中を走り、愛南町のさらに山の中を入ると紫電改展示館がある。
この紫電改に乗っていたと思われるのは6人いる。鴛淵孝大尉、武藤金義少尉、初島二郎上飛曹、米田伸也上飛曹、溝口憲心一飛曹、今井進二飛曹の6人だ。誰が操縦していたのかはわからないまま。ちなみに今日は7月23日。この紫電改が墜ちた日は7月24日。明日が6人の命日になる。
武藤金義は、杉田庄一の戦死後に杉田の代わりとして源田司令が横空から343空に引き抜いた搭乗員。
機体が大きく損傷することのない見事な着水だったので、ベテランの操縦だったと思われるそうだ。ただ、機体に残る弾痕から搭乗員は、重傷を負っていたことが推測される。着水後に力尽きたのだろう。
343空の大きなジオラマがある。手前の黄色い二本帯が菅野直機、その向こうの黄色い一本帯が杉田の搭乗していた紫電改だ。
杉田庄一の説明ボードもある。
お土産に「ニッコリ笑えば必ず落とす」マフラーも売られている。缶バッジなども。
仲間全員で下宿(集会場)として世話をしてもらっていた今井琴子さんが紫のマフラーを隊に寄贈した。そのとき、杉田庄一の口グセを小隊全員がマフラーに刺繍してもらったというエピソードがある。
それが「ニッコリ笑えば必ず落とす」マフラーだ。今はお土産になっている。
実際のマフラーを寄贈する笠井智一さんの写真。
最後にもう一度眺めて回る。
この角度からの飛行機っていい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?