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杉田庄一ノート15:令和3年7月24日〜紫電改展示館「ニッコリ笑えば必ず墜とす」

 令和3年7月24日、愛媛県愛南町の紫電改展示館に行ってきた。

 紫電改展示館に展示されている紫のマフラー「ニッコリ笑えば必ず墜とす」は、おみやげにもなっている。このマフラーに関するエピソードは前回のノートに記述してあるが、杉田の口癖だった。

 「ニッコリ笑えば必ず墜とす」って言葉はどこから来たんだろうと気になって調べてみた。すぐに思い浮かんだのが、「ニッコリ笑って人を斬る」だ。

 そこで「ニッコリ笑って人を斬る」を調べてみると、「国定忠次は鬼より怖い。にっこり笑って人を斬る」というフレーズで知られていることがわかった。江戸時代後期幕末の上州(現群馬県)の侠客である国定忠次は、悪代官をこらしめ農民を救う英雄として講談や浪曲の定番として人気を集めラジオで流布した。また、新国劇や尾上松之助主演による映画化も行われていた。昭和14年には、東海林太郎による「名月赤城山」のレコードが発売され、イケイケの軍歌とは違って、「男心に男が惚れて」という歌い出しと負け戦であっても臨まねばならない男の覚悟や哀愁が人心をつかむようになっていった。特に広沢虎造(2代目)の講談は、昭和初期にラジオで講談が流されるようになって大ブームを巻き起こす。暗い世相の時代に痛快なストーリーが市民の娯楽としてマッチしたのだろう。そして、「ニッコリ笑って人を斬る」は国定忠治の決め台詞なのだ。虐げられたり、騙されたりした人たちが我慢に我慢を重ねている状況に忠次が現われ、ニッコリ笑って斬り捨てるという勧善懲悪なのだ。ただ、その先に幸福が待っているわけではない。国定忠治は負け戦の美学でもあるところが人々の心をつかんだのだ。

 おそらく苦しい状況におかれた中での忠次の活躍に、杉田だけではなく隊の若者たちも自分を重ねていたのではないかと思う。単純すぎるだろうか。19歳、20歳の若者たちの唯一の娯楽として広沢虎造の講談や歌、映画をみなが楽しみにしていたと思われる。敬礼などの仕方や「愛する列機来い!」など少しカッコつけの傾向のある杉田なので、広沢虎造の決め台詞を自分なりにアレンジしたのではないかと考えてしまう。

 広沢虎造の講談は、YouTubeでも聞くことができる。迫力のある講談は今の時代で聴いてもすばらしい。つい聴き入ってしまった。合いの手に入る三味線や女性の声もなかなかのものだ。エンターテイメントが少なかった時代、これは人気が出るはずだ。





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