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杉田庄一物語 その45 第五部「最前線基地ブイン」 第三次ソロモン海戦

 昭和十七年十一月十二日の深夜、「第五次挺身隊」(戦艦「比叡」、「霧島」、軽巡洋艦「長良」、駆逐艦十四隻)による第三次ソロモン海戦がおきる。新しく飛行場を作ろうとしている米軍の動きを察知した日本艦隊が、ガダルカナル島に向かった。しかし、米海軍(空母一、戦艦二、巡洋艦五、駆逐艦十二)が島ルンガ岬沖で待ち構えていた。

 猛烈なスコールと闇夜の中で両軍は索敵を思うようにできないまま深夜に出会い、砲撃戦になった。夜が明けると上空での航空戦も伴う壮絶な艦隊決戦となり、双方とも甚大な損害を出した。日本軍側では、戦艦「比叡」、「霧島」、重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦三隻が失われ、損傷を受けた艦艇が多数あった。米海軍艦艇も日本海軍の駆逐艦群(水雷戦隊)によって軽巡洋艦二隻と駆逐艦七隻が沈没、その他、多くの艦艇が損害を受けている。

 十三日早朝、B17爆撃機が一機ブイン上空に現れ、警報とともに四機の零戦が追撃にあがった。繰り返し攻撃をしかけ、左エンジン二機ともに出火を確認するもB17は逃げ切ってしまう。B17は少しくらい被弾してもびくともしないタフさがあり、隊では撃墜するための研究が始められた。

 この日午前中にもう一隊の零戦六機が戦艦「比叡」の援護に向かった。六空戦闘行動調書によれば「比叡」を発見することができないで引き返している。

 この日から二十八日まで杉田の出撃はなく、病気あるいは体調を崩していたのかもしれない。島川の空戦記録によれば、昭和十七年末ごろは搭乗員が疲労やマラリヤでつぎつぎと倒れていた。ベッドで寝ていると、帰る人のいないベッドの毛布がそのままきれいに丸められ枕が乗せられているのに思いをめぐらしてしまう。

「あいつも戦死か、こいつもかと、つぎつぎに消える戦友たちのベッドを見ながら、俺の晩はいつだろうと、そんな考えをめぐらす」
と島川は書いている。_『島川正明空戦記録』(島川正明、光人社)

 この間、ブイン基地上空には毎日のようにB17爆撃機が現れ、追撃にあがっているが「撃墜に至らず」と記されており苦戦を強いられている。現れるB17もたいがい一機のみであるが、いつ来るかと常に待機せねばならず、心が休まる時間を無くすのがねらいである。

 『指揮官空戦記』(小福田晧文、光人社)の中で小福田は次のように書いている
「米軍の主力爆撃機B17、B29などはじつにしぶとくて、落としにくい飛行機だった。私はこの両機種とは、たびたび対戦した。追っかけまわし、必死になって撃ちまくるが、いくら命中しても、びくともしないという感じだった。『空の要塞』を呼号するだけのことはあるようだ。 
 ソロモン方面の戦域では、敵の爆撃機は、主として、B17、B24、B25などが出てきていた。が、その中でも、やはり、B17が主力となっていた。欧州戦線でも、同じであったようである。」

 あるとき小福田が六機小隊でB17を二機追撃した。小福田は、大型機を撃墜する方法を次のようにまとめていた。
「第一は操縦席を狙って操縦者を倒す。第二は翼または胴体の燃料タンクを狙って火災を起こさせる。第三は発動機(エンジン)を狙ってこれを停止させる」
 この通りに攻撃を加えるが、前述したようにB17は防弾鋼板、防弾ガラス、防弾タンクで防御されている。そこで発動機をねらってかわるがわる射撃を加えるが、弾が当たっているはずなのに何事もなかったように飛び続ける。降下しながら速度をあげるB17に対して後ろから近づく零戦からの射角は浅く、しかもB17の後方銃にねらわれる。一時間近く追い続けついに一機は海に突入した。しかし、四つある発動機が二つしか動いていないもう一機は、機内の装備品を海へ投機しながらも飛び続ける。さらに攻撃を続け、最後は着水、とどめをさされた。こんなタフさは日本軍にない米軍の特徴でもあった。

<参考>

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