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上越立ち止まりスポット25(古城小〜福島城跡地)

古城小学校はその名の通り、福島城の本丸跡地にたっている。中に入るとすぐ左手に福島城の跡地の記念碑の一角がある。福島城が江戸城なみの大きさと敷地の広さをもっていたと知ったのはつい最近だ。

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上越に生まれながら高田城と春日山城のことしかずっと知らなかった。古城小学校の名前の由来も知らなかった。教育委員会に勤務していた15年前にようやく福島城と古城小学校が結びついた。おはずかしい限りだ。

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校舎のはずれの一角に当時の石垣と記念碑がたっている。

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築城は慶長12年(1607)。上杉氏が移封し、その後に入った堀秀治によって作られる。しかし堀氏内紛があり、徳川家康は六男の忠輝を城主にする。忠輝は高田に築城をはじめ、福島城は築城されて7年で廃城になってしまう。その規模は東西南北に170mあった。当時としては大きな城だった。勢力を弱めるためとか関川(荒川)や保倉川の氾濫を嫌ったためと言われている。

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たいへんな労力をかけたことだろう。

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