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ニチニチコレコウニチザツキ

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ADHD気味という自己認識での日常生活。あちこちに興味関心が分散して突っ込んでいく自分を客観的にノートしてみようと思う。
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#杉田庄一

四月十五日、杉田庄一の命日。お墓参りをしてきた。

四月十五日、杉田庄一の命日。お墓参りをしてきた。

昭和二十年の四月十五日、鹿児島県鹿屋基地で待機していた杉田は敵機来襲の報を受けただちに出撃離陸中、すでに上空から降下してきていたグラマンF6Fに一撃され炎上墜落した。二十歳であった。

上越市浦川原区小蒲生田の生家跡にある顕彰碑と墓所にお参りしてきた。同行者は「杉田庄一の実績を伝承する会」事務局長の木村初雄氏。私が到着するとすでに木村氏は顕彰碑を掃除していた。

顕彰碑のある生家跡は、磯部山の南側

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杉田庄一顕彰碑のパンフレット作成

杉田庄一顕彰碑のパンフレット作成

顕彰碑を作ってから、どうやって行くんだという問い合わせがあちこちからあって、パンフレットを作成して欲しいという声が出てきた。会長さんや事務局長さんから相談を受けて、私が作成することになった。

地図や道順などはホイホイと作ったが、せっかくなので略歴と飛行機のイラストを入れようと思い立ち、零戦と紫電改の側面図を作成した。

使うツールはCLIP STUDIO PAINT。
昔はPhotoshop e

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「紫電改のタカ」と教員人生と「杉田庄一」

「紫電改のタカ」と教員人生と「杉田庄一」

 私は今年(2021年)3月に教員養成系某国立大学を退職をした。24歳で中学校の講師になってから42年間の教員経験をしたことになる。

 学生運動がまだ盛んなときにのんべんだらりと学生生活を送り、第一次オイルショック時に大学を卒業、お菓子会社のブルボン北日本食品に勤めた。就職できればめっけもんの時期だったで有無なく入社した。しかし、ブルボン大阪営業所での勤務経験は激烈なもので、斜にかまえていた私に

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4月15日は、杉田庄一の命日

4月15日は、杉田庄一の命日

杉田庄一は、大正13年(1924)7月1日、東頸城郡安塚村小蒲生田(現上越市浦川原中区蒲生田)の農家で6男3女の次男として生まれる。山の中の家から毎日2km離れた安塚村立中保倉高等小学校に通い皆勤賞で卒業し、安塚農林学校に入学。1年の半ばで中退し、15歳で海軍に入隊する。少年兵から予科連に進み、戦闘機搭乗員となる。

昭和17年、ラバウル航空隊での初陣で、空の要塞と言われるボーイングB17を攻撃し

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