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レジェンドサーファーは74歳にして、まだまだ現役です。

昨年、コロナ禍になる直前、ニュージーランドの波に乗った写真を見せてくれました。
「74歳には、つらいぜ」とケタケタ笑いながら。
日本人初のプロサーファーとして、サーフィン業界を開拓してきた川合さんは今もお元気。
ホワイトマンの間では「マウスマン」と呼ばれています。
 
「イシコ、来週来ると書いてあったろ?
俺、今週は忙しいんだよ!」
「今週ですよ。ボケたんじゃないんですか?」
 やりとりは変わりません。
 彼は煙草をふかしながら首をひねった
後で、「まぁ、いっか」と、またケタケタ笑います。
 
20年ほど前、鴨川にしばらく滞在し、
毎日のように横渚海岸をぼんやり眺めていました。
サーフィンは全くやらないのに。
「今日も見ているだけ?
不思議なやつだなぁ」
 滞在中、紹介していただいた川合さんは、首をひねりながら、やはりケタケタ笑っていました。

僕はサーファーがボードにまたがって波を待っている光景が好きなのと、
一期一会の波に描いて、消えていく様を見ているのが好きなんですよね。
 
川合さんは、その後、ホワイトマンとして参加してくださいました。
鴨川のサーフィン大会でデモンストレーションする際、
マウスマンが白いウェットスーツに白塗りでデモンストレーションをすると言い、地域で問題になったこともあります。
「住民説明会で仲間たちが言ってくれたらしいよ。
彼らは顔が白いだけで怪しくねぇって!
合ってるよな?」
「いやいや、余計、怪しいでしょ!」
 そんなやりとりもありました。
あの時も、「まぁ、いっか」と言いながらケタケタ笑っていたっけ。
 
結局、当日は天候が荒れて大会は中止に。
ホワイトマンチームだけ海に残り、白塗りでサーフィンをするマウスマンの勇姿を撮影していました。
その後で彼はテレビの撮影も入っていて、白塗りが落ちていないままサーフボードを抱えて走っていったなぁ。
 
当時、お世話になった方々は、亡くなられたり、アメリカに移住されたりしていますが、
マウスマンは鴨川を拠点に、まだまだ地球上を遊び場にしているようです。
 
「また立ち寄りますよ」
 昨日、帰ろうとしたら、カウンターに僕が送った手紙が貼られていました。
そこには「18(日)か19(月)に伺いま~す」の文字が。
ボケていたのは僕でした。
マウスマン、ごめんなさい。
 
写真は、古稀記念のDVDです。

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