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放送原稿と新聞原稿の違い

radikoで一週間前に放送された「聴く新聞」(ぎふチャン)を聴きながら綴っています。
新聞とラジオの可能性を追求した番組のパーソナリティは岐阜新聞社の神保絵利子さんで高校時代の同級生。
 
昨日、ランチしながら、近況を語り合っていました。
「声から想像できるラジオの世界が大好きなんだよねぇ」
 と大学卒業後、岐阜放送にアナウンサーとして入社します。
 
僕は20年近く岐阜を離れていたので、当時の岐阜のことはわからないけれど、
テレビの生放送の看板番組、岐阜放送として初の女子アナの議会中継(僕たちは男女雇用機会均等法直後世代なので、こういった話題が出たんでしょうね)など、彼女の活躍ぶりは他の同級生からうかがったことはありました。

40歳で新聞社へ出向になり、記者として一から挑戦を始めます。
「放送原稿と新聞原稿のギャップがすごいのよ」
 たとえば、放送原稿では、「いつ」が先に入るけれど、新聞原稿は「どこ」が先に入ります。
日時が重要でない情報で、当日の新聞に入りきらなかった情報が翌日以降に流れることもあることが理由の一つ。
それ以外にも放送原稿で「僕たち」が新聞原稿では「僕ら」と文字数を減らすなど、それを憶えるだけでも大変そうです。
しかも女子アナというだけで、「華やかな」イメージを持つ「硬派」な記者たちから、風当たりの強さも想像に難くありません。
彼女は笑って話すけれど。
喉を人一倍気にして、酒も飲まないどころか、炭酸飲料も飲まないなどプロ意識の高い硬派なアナウンサーなんですよと当時の彼らに教えてあげたいくらい。
 
50歳で古巣の放送局へ戻る話を断ります。
「書くことが面白くなってきたし、新聞と大好きなラジオとの相性がいいと思ったの」
 と彼女は新聞社の仕事を続けながら、今の1時間半の番組を立ち上げました。
取材原稿と放送原稿とパーソナリティと全て自分でこなす頭の切り替えと多忙さは想像を絶します。

コツコツと3年間、番組を続け、先日もradikoで聴いた北海道新聞から取材を受けるなど、ジワジワと評価が高まっているところ。
今後の展望もうかがったので、僕も全力で応援していきます。
 
写真は、ランチの後、彼女が連れて行ってくれた岐阜市役所新庁舎の展望室。
眼下に見える「みんなの森 ぎふメディアコスモス(市立図書館など)」内のスタバで食後のコーヒー(僕は抹茶フラペチーノ)をすすりながら語っていたら、3時間が経っていました。

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