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ゴッホの弟の画商テオは、どうして存命中に売り出さなかったのだろう…がクリアに。

芸術は批評する人がいないと埋もれてしまうことがあります。
ゴッホで言えば、生涯、彼を金銭面も含めて支えた弟の画商「テオ」がよく知られていますが、ゴッホの死後、半年で亡くなっています。
テオの意志を引き継いだ妻「ヨー(通称)」が奔走し、今では「ひまわり」のように約53億円の価格がつく巨匠のゴッホができあがりました。
 
ただ、疑問に思っていたことがあります。
どうしてテオは、ゴッホの存命中に彼の絵を広める活動をしなかったのだろう。

昨日、名古屋市美術館で行われている「ゴッホ展」のイヤホン解説で初めてクリアになります。
テオは妻のヨーに兄の絵は生きているうちは売れないこと、時間が経ってから評価されることをメッセージとして残していました。
 
ヨーはテオの死後、美術評論家にゴッホの絵を見せます。
相手にされませんでした。
彼女はあきらめません。
作品の解釈に役立ててほしいとゴッホがテオにあてた手紙を添えて、もう一度、見てもらい、そこで初めて鑑賞されることに。
美術評論家が様々な観点から批評し、広まり始め、ヨーロッパ各地のギャラリーや美術館が興味を持ちます。
 
評価途上だったゴッホをコレクターの「ヘレーネ・クレラー=ミューラー」は積極的に買いました。
今回のゴッホ展は、彼女が20年かけて購入してきたゴッホの作品群を拝見できます。
 
ヘレーネはゴッホの世界最大個人収集家として知られていますが、彼女自身も波瀾万丈の人生でした。
彼女の夫の支えで絵画を買い集めたコレクターで、
美術館の設立に奔走していたのですが、
世界恐慌で夫の会社は財政難に陥り、計画はストップしてしまいます。
一旦は会社を立て直すものの、再び財政難に陥り、
美術館の設立を条件にオランダ政府に絵を寄付し、
クレラー=ミューラー美術館は完成しました。
初代館長に就任した翌年に彼女は亡くなります。
 
当たり前と言われれば、当たり前だけれど、
現在、確固たる批評は、実は様々な歴史の上から生まれたんですよね。
様々な批評がつながり、今、こうして目の前で鑑賞できる時間……不思議な感覚を噛みしめていました。

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