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伊神さんの夢

「この3年間、大変だったけどコロナでライブが必要なことは証明されたんだて。
だから、うちの会社は大丈夫やと思う。
もちろん今後も何が起こるかはわからなんけどな。
それより、俺たちはみんな死ぬんだて。
そう考えたら次世代に繋がることがしたいと思うだろう」
 サンデーフォークプロモーションの伊神社長は熱くおっしゃいます。

学生時代から聴いているサザンオールスターズ、ドリカム、松任谷由美、
近年ではミセスグリーンアップル、髭男、あいみょん、すとぷりなど、
東海圏で行われるライブはサンデーフォークプロモーションが企画されることが多い。

伊神さんは大学時代から、大変、お世話になり、
大学のゼミの教授より一緒に過ごした時間は多く、
僕にとっては大学の数学より大切なことを教わったと思うほど。

僕が出会った当時、伊神さんは26歳でした。
伊神さんがサンデーフォークの静岡支社長だった頃で、
1988年、観光施設になる予定だった浜松市の弁天島にある渚園をライブ会場にしてしまいました。
まだ、今のようにフェスが盛んではなく、しかも、一人のアーティストで。

そのライブの様子は、今夏、公開された浜田省吾の映画「A PLACE IN THE SUN」で描かれています。
当時、僕はアルバイトで渚園に泊まり込み、設営撤収はもちろん、
本番中は舞台上のセットを移動させる大勢のスタッフの1人として仰せつかりました。

その翌年は、米米クラブと久保田利伸、
僕が卒業してからはサザンオールスターズ、B'z、
7年ほど前にはワンオクなど、
渚園は野外ライブの名所となったのです。

そんな渚園のライブが始まった当時の関係者が集まる「渚会」は4、5年に一度行われ、
前回から当時、アルバイトだった僕たちも呼ばれるようになり、
昨日、約5年ぶりに行われました。

渚会とは別に伊神さんとは何年かに一度、お目にかかる機会はあるものの、
コロナ禍もあったので4年ぶり。

この4年間、取り組んでいる話をじっくりうかがいました。
コロナの間、サンデーフォークは、ほほ全てのライブは中止になります。
その損害額は僕の想像をはるかに超えるのでしょう。
しかもたくさんの社員を抱えたまま。

その間に伊神さんは、名古屋は新栄にライブハウスならぬこども食堂を兼ねたライブ食堂を作り、
そこで提供する米や野菜を作るために豊根村で会社として農業まで始めたのです。

限界集落に訪れる華やかな世界の会社は、住民からも役場からも最初は毛嫌いされたらしい。
しかし、伊神さんは通い続け、
育苗、田植え、草刈り、稲刈り全てに携わり、
挙句には専用の社員まで雇いました。

こうして収穫祭でアーティストも呼ぶ
農業フェスの原型を作り始め、
大企業と有機質肥料の開発も進行中で、
数年後に農業をビジネスにしていく計画らしい。
伊神さんは、この企画を全国、世界の限界集落にまで広げていく夢もあります。

農業に取り組み始めて4年目の僕は、
目の前の安八町の農業もままならない状態ですが、どこかで繋がっている気もします。
そのヒント、もしくは、何か一緒にできることを模索しながら、来年は何度か豊根村に通う約束をしました。

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