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フィリピン旅総括

静岡で過ごした学生時代、飲屋街を歩いていたらフィリピンパブ(たぶん)で働くフィリピン人の女性から、タガログ語で話しかけられ、僕がキョトンとしていると、
「エ?アナタ ニホンジン?ウソー!フィリピンネ」
 と笑いながら、肩を叩かれたことがありました。

マニラ☀︎ニノイアキノ空港に降り立ち、イミグレーションの列に並びながら、ふと思い出したのです。
しかし、そんな呑気なことを言っている場合ではありませんでした。
入国審査は入国カードではなく、あらかじめeTravelで登録しておかねばならないことを調べておらず、いきなり、つまづきました。
僕のトランクだけターンテーブルに居残りに。

そんなトラブルから始まったフィリピン旅から戻ってきました。

旅行作家の活動は、しばらく国内のみで、
介護、議員、農業が落ち着いたら海外も広げますと様々な方に申し上げていました。
しかし、「たら」、「れば」はあてになりません。
そこで、セカイサンポの時の1都市1週間より短いけれど行ってみることにしたのです。

なぜ、フィリピンを選んだのか。
東南アジアで唯一行ったことがない国だったから。

旅のスタイルは変わりません。
その街に住んだら、自分はどんな暮らしをするだろうと想像しながら、ぶらぶらするだけ。

買いもしないのにアパレルや書店、
電気店などをのぞき、
教会で、うたた寝することもあれば、
公園、動物園(人気者だった象が先月亡くなったらしい。写真だけが飾られていました)のベンチで甘いアイスコーヒーを飲みながらぼーっとしていることもあります。
夕方は早めに夕食を済ませ、
映画館に行くかホテルに戻って、
入浴剤を入れて長めの入浴、
現地のテレビ番組を観ながら眠るといった日々。

新しい変化と言えば、インフラや行政サービスが気になるようになったことかなぁ。

例えば写真の電信柱の上の方に設置されたメーター。
島が多く、送電が大変なフィリピンは電気代が高い。
石炭火力が半分を占めるけれど、現アキノ大統領は原子力発電導入を目指しているらしい。
そんなことを考えながら電線も、よく見上げていました。
写真を撮っていると周囲のフィリピン人が「何を撮っとるんじゃ」的に一緒に見上げてたっけ。

ゴミ箱も気になります。
フィリピンは焼却が原則禁止なので、最後は埋め立て。
よってゴミは微生物の分解で自然に戻る「生分解性(biodigradable)」と自然に戻らない「非生分解性(non-biodigradable)」に分けられ、
街中のゴミ箱も2つ分かれて置かれています。
ただ、実際は……まだまだなのかな。
とにかく気になる旅の視点は増えたようです。

残念な変化もあります。
安八から東京まで歩いたくらいなので少し休憩すれば、一日中、歩くことができますと吹聴していた数年前が恥ずかしくなるほと体力不足を痛感しました。

基本的にマニラ中心に3路線走る公共機関の高架鉄道を利用し、
その日の適当な駅を決めて降りて歩き回ります。
疲れたらカフェか飲食店に入るところまでは以前と変わらないのですが、
途中で疲れ、Grab(Uberのようなアプリ)でタクシーを呼んでホテルに戻ることも。
昼寝のために帰った日もあります。

食事も変わりました。
以前は3食屋台でも大丈夫だったのに、
1食は少々、高くても落ち着いた店を選ぶようになりました。

お酒の量も減り、
グラスに氷が入ったサンミゲルのビールを2本も飲めば充分。
酒を呑まない日さえありました。

ハラルフード(イスラム教の戒律に基づいた料理。全人口の5%がイスラム教徒なので専門店があるのです)に入って、サラダと野菜カレーで魚肉なし、それをレモネードと一緒に流し込むなんて以前は考えられなかったことです。
フィリピン料理は脂っこい物が多いからかもしれません。

旅の対応力が落ちていることを痛感したけれど、
その時の自分の気力体力に合った旅があることを実感しました。

そうそう、最初に綴ったフィリピン人に間違えられた話で、今回、どうだったか。
高架鉄道のチケット売り場で男性から路線について2度もタガログ語で聞かれました。
嬉し……くはないか。
答えられなかったし。






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