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話題の蓑虫山人に夢中

 「ホテルに泊まって散歩なんて、スポンサーは集まらないんだって。冒険にしなよ。せめてテントを背負って放浪」
 セカイサンポの際、マネージメントでお世話になる親友から言われたことを思い出しました。
 
没後、120年になる安八町出身の蓑虫山人。
幕末から明治にかけて48年間、「笈」と呼ばれるテントを背負って放浪しながら絵を描き、縄文文化の研究をするなど、興味のまま生きた文化人だったそうです。
現在、ハートピア安八内の歴史民俗資料館で企画展開催中(12月24日まで)。

「Discover Japan」にて蓑虫山人に関する連載で改めて全国に知れ渡り、彼が長く滞在した東北では、今年、秋田県の美術館で開催され、来年は青森県でも開催予定など、近年、彼の生き方に共感する人が増えているという話を耳にします。
 
安八町は無料の民俗資料館なので美術館のように大掛かりではありませんが、彼の旅や生き方を想像できる展示になっていて、既に二度も伺ってしまいました。
まず、入口のモニターに流れる蓑虫山人の人生を描いた「歴史秘話ヒストリア」っぽい映像から見入ってしまいます。
 
そして彼が滞在先で目にした光景をサラサラと絵に書き留める、「インスタ」に通じる表現がいい。
今で言えば「クラウドファンディング」的に家を創る話(絵や文献が残っています)も面白い。
明治30年、彼は岐阜県の笠松町で、竹で家を創る「籠庵」なるものを計画し、竹を提供してくれた数に応じて絵を描いたらしい。
 
また、都市伝説的な話が残っていることも興味深い。
西郷隆盛と僧侶・月照が鹿児島湾(錦江湾)で入水自殺をはかるのですが、西郷を助けたのは蓑虫山人というのです。
放浪に出るまで、安八町の受得寺に出入りしていたことや蓑虫山人の本名「土岐源吾」という名前が影響していることもあるのでしょう。
自殺未遂の後、西郷隆盛が奄美大島で名乗った名前が「菊池源吾」……考えてしまいます。
ただ、情報源が本人発信だったところに、どこか寅さんの映画を思い出してしまい、微笑んでしまうのですが、真偽はわかりません。
 
写真は、一昨日、発売された蓑虫山人の本。
これを期に1979年に発売された画集を買おうと思ったのですが、Amazonで3万3千円の値が……僕の本で約60冊分かぁと計算して躊躇する情けない癖がついてしまっています。

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