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40歳でプロレーサーになった伝説の男

バイクレーサー松下さんの墓の場所を忘れました。
奥さまの名前と自宅の電話番号を貼ったメモ帳も失くしました。
管理事務所で尋ねましたが、彼が亡くなった9年前は故人のデータベースがないらしく、墓の名義人でしか探すことができないらしい。
敷地内に4万区もある中から、いろいろな方法で調べてくださったのですが手がかりは出てきませんでした。
往生際悪く、事務所を出てからも、かすかな記憶を手繰り寄せ、再度、霊園の中を彷徨って探します。
 
松下ヨシナリ(佳成)さん
 
グラフィックデザイナー兼モーターサイクルジャーナリストとして活躍されていた頃に知り合い、公私ともにお世話になりました。
福岡の講演につきあってもらい、その後、近くの理髪店で丸刈りにして締め込み(ふんどし)姿で博多祇園山笠に参加したこともあったなぁ。
 
「死ぬまでにマン島TTレースに出てみたいんだよね。もう40歳目前なんだけどさぁ」
スコッチ片手に彼がつぶやいたことがあります。
「歳なんて関係ないですよ。言い続けたら叶うんじゃないんですか?」
 業界のことなど何も知らない僕は酔っぱらいながら無責任に応援した……と後に彼はスポーツ紙のインタビューで語ったそうです。
 
イギリス王室属国マン島で100年以上開催され、
サーキットのように舗装されていない普通の一般道を使ったレースなので、
世界で最も危険な競技としても知られていたのです。
 
「イシコちゃ――――ん、言い続けたら叶ったよ!」
 ある日、電話が入ります。
 
三宅島で彼が司会を務めたバイクイベントで、マン島出場予定の外国人レーサーが出席していて、松下さんの夢を通訳から聞いた後で言ったらしい。
「空きがあるから出場してみる?」と。
きっと、もっと複雑なやりとりはあったでしょうが、とにもかくにも、こうして彼は40歳でマン島TTレースにレーサーとして出場を決めたのです。
 
ただ、レースに出るには、レース用のバイクはもちろんのこと、輸送費、メカニックの人件費や滞在費など莫大な資金が必要です。
今のようにクラウドファンディングが盛んではありません。
伝説のレースとはいえ、メジャーなレースでもなく、しかも40歳の新人レーサー。
彼は企業を一つづつ丁寧に周り、自作のステッカーも販売するなどして資金を調達し、マン島へ向かったのです。
 
しかし、レース中に転倒し、ヘリコプター搬送されるほどの重傷を負って帰国しました。
病室をのぞくと、
「昨日、チホさん(僕のパートナーで、松下さんはボイストレーナーをお願いしていたらしい)が見舞いに来てくれたよ。
もう一回、マン島TTレースに出たいって言ったら叱られちゃってさぁ」
 と頭を掻いていました。
 
足が動かなくなる可能性もある大怪我にも関わらず、
彼はリハビリに全力で取組み、復帰します。
再度、マン島TTに挑戦し、完走しました。
 
ここから彼の元に様々な話が舞い込み始め、
鈴鹿8時間耐久ロードレースやル・マン24時間耐久レース(9位完走)など着々と結果を出していきます。
織田信長由来の勝ち守りとしても知られる安八(あんぱち)町の結神社のお守りを届けにピットへお邪魔したこともあったなぁ。
いつしか「走って喋れるモトジャーナリスト」と彼のキャッチコピーが確立していました。
 
そして2013年、3度目のマン島TTレース。
初音ミクとコラボしたバイクに乗ることが話題になりました。
 
当時の僕は安八町消防団に所属していて、訓練中、間違い電話をかけたことを憶えています。
彼はマン島出発直前でした。
「イシコちゃんって石原(「もしもし、消防団の石原ですが…」と本名でかけたようです)って苗字だったんだねぇ。
たぶん、松下違いで電話してるでしょ?
消防って何?
ったく、マン島の激励かと思ったよ。
あいかわらずおっちょこちょいだなぁ。
帰国したら飲もうね~」
 それが最後に交わした会話です。
 
予選で転倒して逝ってしまいました。

中年ライダーの憧れの存在として脚光を浴びたこともあるのでしょうが、彼の人柄もあったと思います。
葬儀場から最寄り駅まで松下ファンで長蛇の列ができていました。
 
後日、奥さまと電話で話す機会があり、無責任に応援したことを詫びると、
「どこかで覚悟はしていましたから。
それより、松下に好きなことをやる環境を作っていただき、皆さんには本当に感謝しています」
 電話口で僕は泣きました……にも関わらず、ご無沙汰しっぱなし。
それどころか墓の場所を忘れてしまったのです。
「イシコちゃんは、あいかわらずだなぁ」
 と笑っている松下さんの顔を都合よく思い浮かべながら、先日、霊園を彷徨い続け、結局、見つけることができませんでした。
 
そして今日、5月27日は9回目の命日です……と松下さん、懺悔のように長文で綴ったから許してください。
というより墓の場所をご存知の方は教えてくださいませ。
そうすれば来年の10回忌には墓にスコッチを持っていくことができるので。
 
写真は、2011年、マン島TT完走時の報告書と今も使っている松下さんのロゴ入りボールペンです。

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