知識ではなく、体感として刻まれた貴重な体験
1988年8月20日、浜松から氷が消えたと言われています。
原因は、浜名湖畔の渚園にて行われた浜田省吾の野外ライブ。
公開中の映画「A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988」を拝見しながら、様々なことを想い出しました。
当時、僕は静岡在住の20歳の大学生。
イベンター「サンデーフォーク」でアルバイトをしていて、
この野外ライブも1週間ほど前から泊まり込み、
舞台設置から、ライブの運営、舞台撤去まで、お手伝いしていました。
渚園で初めての野外ライブ、しかも集客人数5万5千人と当時、日本では珍しく、経験値も乏しい。
渚園から「弁天島」駅の改札まで約1.2キロの道のりは大行列。
5時間かかっても、チケットのもぎりがさばけない状況だったのです。
その時、僕は舞台上にいました。
開演1時間ほど前からタイトルの「A PLACE IN THE SUN」が印字された巨大な白い布でステージは覆われ、
その下で、僕はT字の木の棒を持って支えていたのです。
1曲目の前奏が流れると供に、舞台後ろの巨大なクレーンに仕込まれたワイヤーで白い布が後ろに引き上げられていき、
我々、アルバイトは、それがドラムなどの楽器に引っかからないよう補佐をしていました。
作業が終わり、舞台から去る際、チラッと見えた観客の光景は目に焼き付いています。
映画の中で、途中、搬入の様子の写真も差し込まれ、
さらに様々な記憶(2年後、お手伝いした久保田利伸や米米CLUBの渚園の作業記憶と混同しているかもしれませんが)が蘇ってきました。
大きな広場に大量のイントレ(移動式の足場)を載せたトラックが何台も入ってきて、
それを一つずつ積み上げてステージを組み、
舞台が組みあがると、さらに10段ほどの高さまで積み上げていきます。
そして、途方もない数の照明やスピーカーがトラックで運び込まれて設置……途方もない作業の連続。
8月の炎天下、舞台の前には、ポリバケツに入ったスポーツドリンクが置かれ、柄杓で、すくって飲みながら作業していました。
今では考えられないでしょうね。
かと思えば雷雨で機材をビニールシートで覆いと記憶が溢れてきます。
どれだけ多く見える物も、一つずつ積み上げていけば終わることを、知識としてではなく、体感として刻まれた貴重な体験でした。
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