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オリジナリティって何だろう

 音楽、小説、映像、建築、料理、ファッションなどの話になると、オリジナリティ(独自性)について触れる方がいらっしゃいます。
奇抜であれば、オリジナリティと言えるのかというと、そうでもないのが難しいらしい。
活動しながらオリジナリティを見つける方法があるわけでもなければ、いつ見つけられるかもわかりません。
自分は気づいておらず、評論家などの手によって見いだされることもあり、
逆に自分でオリジナリティだと確信していても、評価されないことだってあります。
 
画家「フェルナンド・ボテロ」の場合、24歳のある晩、静物画を描いていた時に彼固有の絵が生まれました。
マンドリンのボディ部分の表版の「サウンドホール(ボディの中で共鳴した音を出す穴)」を小さく描いた際、楽器自体がふくよかに見えることに気づいたのです。
 
それを肖像画にも応用していくようになりました。
決して太った人を描いているわけではありません。
絵を眺めているうちに、やわらかくて温かい気持ちになっていきます。
 
彼のオリジナリティも、すぐには認められなかったようで、酷評があったことも想像できます。
もし、評価されていない時代に僕がギャラリーで見ていても、
「僕は好きだけど、世の中的には奇抜にとらえられちゃうのかなぁ」
 などと、どちら側にも敵を作らないズルい反応をしていたかもしれません。
 
彼が注目されるきっかけになったのは、1963年、ニューヨークはメトロポリタン美術館で発表された「12歳のモナ・リザ」(1959)でした。
1962年から63年にかけて、ダヴィンチの「モナ・リザ」が初めてアメリカに渡ったことで更に注目を浴びたこともあります。
 
今回の展覧会で来日している一昨年に描かれた「モナ・リザの横顔」(2020)のように僕にとってのボテロの絵は明るい配色のイメージがあるのですが、
「12歳のモナ・リザ」(展覧会にはなく、映像で拝見しただけ)は肌が青銅色で、ホラー映画のポスターにしてもいいほど暗い。
 
でも、ボテロが一番好きな色は「黒」だったことも音声ガイドで知り、
コロンビアの聖母では、コロンビアの国旗を持った子ども(キリスト)を抱くマリアさまが泣いている部分に故郷(ボテロはコロンビア生まれ)に対する想いや、
サーカスのシリーズのもの悲しさの中の小さな幸せに、ハッとさせられる瞬間があり、
「オリジナリティ」について考えていたのに、
いつしか上っ面で考えている自分自身に気づいて、恥ずかしくなっていました。

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