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4深いくつろぎ


世界中が敵になったとしても、私が味方だよ。私が味方という事は、宇宙が味方だという事だ。

私は25才の時に、書店でOSHOの本を手に取り、OSHOの存在を初めて知った訳だが、実は、肉体を持ったOSHOに出会った事は一度もない。
書店での出会いから、5年程はOSHOはまだ、存命していた。会いたいと思えば、会えたはずなのに、肝心なその時には、OSHOに会いたいという思いは起こらなかった。周りの友人達はOSHOに会いにインドに行く人がかなりおり、帰ってきた友人達からOSHOの話を聞くだけで、私とは異質な、だが、とても大きな存在という認識ではいた・・・。
それが、何十年も経って、一度も直接は会っていないのに、これほど身近に、これほど教え諭され、私の人生の中で、これほど甘えさせて貰い、大事にされた事があるのだろうか?(恐らく、私は多くの生を繰り返してきた中で初めての事ではないだろうか・・・これ程、信頼できる師と出会えたというのは。)
心と体がとても、くつろいでいる気がする。奇跡とはこういう事をいうのかも知れないとも思う。
本当に間違えた時には、こっぴどく怒られ、悩みの時は、励ましの杖を差しだされ、常に背中に大きな安心を提供してくれるOSHO、そういったものに初めて出会い、触れている気がする。

「世界中が敵になったとしても、私が味方だよ。私が味方という事は宇宙が味方だという事だ。」
そんな言葉を投げかけてくれた人(魂)に、いままで私は出会った事があるのだろうか?
恐らく、私という魂史上(たましい、しじょう)初めての事ではないだろうか?
驚きをもって日々を体験している気がする。

だが、OSHOと出会うという事は、自分自身に対して覚悟をするという事だとも思う。
OSHOは弟子が成長すると思える時には、躊躇なく地獄へも突き落とすのだ。そしてOSHOは地獄へさえも共についていく。・・・OSHOはそういう魂だと感じている。


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