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「僕たちだけのヒーロー」 (リーグ第27節・北海道コンサドーレ札幌戦:2-0)

 試合後のオンライン会見に現れたヒーローは、ごく冷静に話し出した。

「(福岡戦で)初めて負けたことで、周りがすごく『フロンターレ、大丈夫か?』という感じになっていたんですけど、自分はもっと苦しい時代を経験してきているので。一回負けることなんて普通だと思っていました」

——自分はもっと苦しい時代を経験してきている。
それをさらりと話せるのも、積み上げてきたキャリアと見てきたものがあってこそだろう。

オンライン会見で紡がれ始めた小林悠のそんな言葉をキーボードに打ち込みながら、自分の頭の片隅では、「彼の記憶の中で、川崎で一番苦しかった時代は、いつだったんだろうか」という疑問もふとよぎってきた。

すぐに浮かんだ記憶は、キャプテンとして初タイトルを逃した2017年のルヴァンカップ決勝だ。あの敗戦後のミックスゾーンでは、中村憲剛と同じように多くの記者に囲まれ、タイトルが取れない理由を何度も問いただされ、苦悶の表情で真摯にコメントしていた。

あるいは、2017年元日に鹿島アントラーズに屈した天皇杯決勝の頃もそうだ。あの試合後の彼は、ミックスゾーンでのテレビの取材で涙を見せていた。あの涙は彼が勝敗の責任を背負う選手になった瞬間だと思っているし、その翌シーズンからキャプテンマークを巻き始めた。

もしかしたら、その前年もそうかもしれない。2016年の1stステージ・アビスパ福岡戦、勝てば初優勝の可能性もあった中で勝ち切れず、土壇場で鹿島アントラーズに首位をかっさらわれた。試合後のミックスゾーンでは、初めて怒りすら滲ませながら「情けない。自分たちが2試合勝てば優勝という状況で、フロンターレとして弱さを出してしまった」と、悔しさを隠さずに口にした。

・・・そんな彼がこの川崎フロンターレで向き合ってきた悔しさや、くぐってきた修羅場の記憶は、他にもいくつか思い当たる節はある。でも、よくよく振り返って考えてみると、どれも「悔しい記憶」であって「苦しい時代」とは少し違うような気もする。

 じゃあ、小林悠にとっての苦しい時代とはいつなのだろうか。

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