鬼木フロンターレとは何だったのか:Vol.20〜新星・田中碧の躍動。2トップを軸にした〔4-4-2〕システムを模索した序盤のジレンマ。
ACLとリーグ戦を並行する序盤、鬼木監督はメンバーを入れ替えながらチームを編成していきます。この時期の変更点は、おもに前線のユニットの構成でした。
ACLでベンチだったレアンドロ・ダミアンと知念慶の2トップにして、連戦が続いていた小林悠と中村憲剛を温存。左サイドハーフも、長谷川竜也ではなく登里享平を起用しています。
攻撃面で言えば、この横浜F・マリノス戦ではダミアンと知念慶、続くACLのシドニーFC戦ではダミアンと小林悠と、ダミアンを軸にしたツートップにした4-4-2を模索していくようになっていた時期だと言えます
そんな中、中盤に新星が現れます。
■田中碧という新星
プロ3年目の生え抜きボランチ・田中碧です。今や日本代表に名を連ねるボランチですが、本格的に試合に出始めたのは2019年からです。
初出場は2018年シーズン終盤で、そこで初ゴール。ただ19シーズンの開幕直後のリーグ戦とACLの公式戦3試合で、田中碧は出場機会がありませんでした。
直近に行われたACLの上海上港戦では、中国遠征に帯同していながらもベンチ外。いわゆる「19人目の選手」として、スタンドから試合を見守っています。海外まで行ってベンチにも入れずに帰国する・・・・非常に悔しかったと思います。
そんな田中碧に、思わぬタイミングで出番が巡ってきます。
それが第3節の横浜F・マリノス戦でした。
キックオフ2時間前に発表される先発リストに名前を連ねていたボランチは、大島僚太と守田英正です。
ところが、ウォーミングアップ中に大島が左太ももに違和感を訴えたことで、鬼木達監督は試合直前になって決断を迫られる事態に・・・・大島は、無理をすれば出場できなくもない状態だったと言います。ただ無理をさせると、長期離脱となってしまうリスクもあるわけです。
悩んだ鬼木監督は、アップを終えた選手たちがロッカールームに戻り、「いくぞ!」とチームの円陣を組んで、整列するときに、スタメンを大島から田中に変更の決断をしたと言います。
田中碧からすれば、先発を告げられたのは、まさに試合直前。難しい心理状態で臨まなくてはいけないことは容易に想像がつきます。でも、若者は時に怖いもの知らずです。準備の時間がないがゆえに、開き直りにも近い感覚になったと言います。
「急だったからこそ、過度に背負うものはなかったし、楽にやれたところはありました。自分のやることをしっかりやるだけでした。自信を持ってやるだけだと思っていましたし、迷いなくスムーズに入れました」(田中碧)
そして入場し、キックオフが始まるまでの間、ベンチにいる鬼木監督は田中碧を呼び寄せて、こう言います。
「自分の特徴を出して、楽しんでこい!」
すると開始早々、いきなり自分の持ち味を発揮します。
開始4分、高い位置からのプレッシングに連動して、守田とともに前に出て行き、最終ラインからアンカーの喜田拓也に入る縦パスを狙ってカット。中央が大きく開いて、サイドに選手が残っているバランスの悪い守備陣を切り裂くスルーパスを通し、レアンドロ・ダミアンの先制点をお膳立てしたのです。
まさに電光石火。緊急先発した若者がいきなり結果を出したんです。
「チームの狙い通りに、前から奪いにいくというのは意識していました。そういう意味では、奪って縦に早く展開することで点を取れたのは良かった。相手が繋いでくるチームなので、前からいく。それは自分たちのやり方でもあるので」(田中碧)
持ち味である守備でも実力を発揮。
相手の足元にボールがあったとしても、自分の間合いに絶妙に引き込んでボールを奪ってしまうのは、田中碧の真骨頂です。前半終了間際のマルコス・ジュニオールとの局面勝負では、対人守備で鮮やかにボールを刈り取っています。
試合終盤の88分にもダミアンのゴールで勝ち越してリードを奪い、田中碧の神奈川ダービーデビューは、最高の形で幕を閉じるはずでした。
しかしラストプレーとなったCKから被弾。
天野純からのCKの対応ということになります。飛び込んでいた扇原貴宏の頭に届き、それがゴールネットに吸い込まれました。
土壇場で初勝利を逃したことで、試合後のミックスゾーンに現れた田中碧に笑顔はなく、沈痛な面持ちでコメントを述べます。
「最後にやられたので、なんとも言えない。あれがなければ勝てたし、自分の責任だと感じてます」
彼が「自分の責任」と口にしたのは、同点弾を決めた扇原貴宏のマークが自分だったからです。実は元々のマーカーは守田英正だったのですが、途中交代でベンチに退いたため、田中が扇原のマークを担当することになっていたのです。そこで扇原に競り負けたことに責任を感じていましたし、悔しさを口にしていました。
若い田中碧に勝敗の責任を背負わせてしまったことを悔やんでいた選手がいました。この日は途中出場だったキャプテンの小林悠です。試合翌日、彼は言っています。
「若い選手に、それだけの責任を負わせてしまったことが悔しい。僕たちがもっとサポートしなくてはいけなかった」
■ダミアンシフトによる〔4-4-2〕システムの模索とジレンマ
ここでは、シーズン序盤のチーム作りを検証したいと思います。
序盤はリーグとACLとの過密日程です。例えばこの時期、チームは中国遠征から帰ってきてすぐに横浜F・マリノス戦を戦い、中二日で今度は等々力でのACL・シドニーFC戦が控えていました。
4冠を目指したシーズン、2チーム分の戦力を抱えてスタートしています。そしてこの時期、鬼木監督は戦い方も2チームに分けていました。
積極的に継続していたのが2トップです。シドニーFC戦での鬼木監督は田中碧を再び先発に起用し、2トップの形も継続。ダミアンと知念慶ではなく、ダミアンと小林悠という形で試します。
背景にあるのは、横浜F・マリノス戦で2得点を挙げたレアンドロ・ダミアンを生かすためのスタイルだからでしょう。横浜F・マリノス戦をきっかけに、ダミアンシフトにした〔4-4-2〕システムのスタイルを組み込んでいこうとしている狙いが感じられた時期でもありました。
鬼木監督の中で、ダミアンを起用するときは、2トップで彼のパワーとスピードを生かした攻撃を狙うチームにする。一方でダミアンがいないときは、中盤でボールを握りながら地上戦で崩していくチームにする。もしかしたら横浜F・マリノス戦をきっかけに、この過密日程の間は、そうした戦力の使い分けを意識していたように感じました。
その狙いは理解できます。
しかし結果がついてきませんでした。このシドニーFC戦でも採用したダミアンシフトの4-4-2は、良い時間帯はあっても、それが得点に直結しなかったり、長く機能しない。
シドニーFCの守備対応は、同じ〔4-4-2〕システムです。2トップが中を締めながら前線からプレッシングをかけていき、ボールサイドには中盤が連動していきます。横に動くスライドも早いため、しっかりと整備されていることがわかります。
本来であれば、こうした〔4-4-2〕システムの守備ブロック崩しは、フロンターレは得意とするはずです。しかし、どうにもうまく攻略できません。
〔4-4-2〕の守備ブロックを緻密に崩すときの流動性に、レアンドロ・ダミアンはまだ絡んでいけないこと。そして2トップの一角である小林悠は、慣れないトップ下のような役割をこなしていたこと。
この試合で右サイドバックに入った守田英正は、味方からのパスを受けるタイミングがどこか合いません。職場であるはずの右サイドにいる家長昭博も、かなり窮屈そうでミスが目立ったりと、選手の配置が普段とは微妙に違うことで、どうにも自慢のパスワークが噛み合わないのです。
その結果、攻め手となったのはボールを握ってのブロック崩しではなく、手数のかけない攻撃でレアンドロ・ダミアンが個人技でフィニッシュまで持ち込む形。三人に囲まれても独力でシュートまで持ち込めるダミアンのパワーはすごいものがあります。ゴールにならなくても、コーナーキックが獲得できることはありますし、何よりスタジアムの雰囲気も変えてしまいます。
ただチームとして機能しなかったことで、前半30分の時点で鬼木監督はシステム変更を伝えます。家長昭博をトップ下、小林を右サイドに移動させた〔4-2-3-1〕です。
これによって、トップ下の家長がダブルボランチとトライアングルを形成。重心が後ろになっていたビルドアップから距離感も改善され、少しずつ中盤でも組み立てが作れるようになってきました。後半は押し込み続けます。
しかし、オーストラリアからやってきたシドニーFCもとことん粘りました。特に公式戦3試合連続完封を続けるGKアンドリュー・レッドメインは、再三の好セーブでゴールを死守。勝ち点1を持って帰ろうと、必死に抵抗し続けました。
それでも試合終了間際に齋藤学のゴールで先制。これをなんとか守りきり、ようやくリーグとACLを通じての初勝利を飾りました。試合後の中村憲剛が言います。
「過密日程でいろんな選手が出る中で、勝つということ。みんなでカバーしながら、進むしかない」
まだ開幕して1ヶ月足らず。
2チーム分の戦力をうまく使い分けた戦い方を試行するも、結果がついてこない。そんなジレンマがチームを襲います。ACLのグループステージではとにかく勝ち点を稼がないと次の進めません。リーグとACLという両方の頂を目指す困難さに直面したシーズン序盤となっていました。