中村憲剛について語るとき、金澤慎が語ったこと。

2019年12月5日。大宮アルディージャの金澤慎選手が現役引退を発表しました。

大宮の生え抜きボランチである彼について、2016年に書き残したことがあったので、リライトしてこのnoteで無料公開しておきます。

何かと言うと、それは川崎フロンターレの中村憲剛との話です。

川崎フロンターレと大宮アルディージャは、2005年にJ1同期昇格している間柄のため、クラブとしてはJ2時代とJ1時代を長く過ごしてきた間柄でもあります。

 川崎フロンターレのJ2時代を知る現役選手といえば、中村憲剛です。大宮戦といえば、中盤でゲームを作る自分に対して、潰し系のボランチである金澤慎がガツガツと止めにくる。そういう中盤の関係での駆け引きを、J2時代からほぼ毎年のようにやっているわけです。

金澤慎は、2006年から2007年まで2年間だけJ2の東京ヴェルディに期限付き移籍してますし、大宮は去年(2015年)はJ2でしたから、毎年ではないですけど、その時期を除いても、10年ぐらいは毎年のようにピッチで顔を合わせているわけです。不思議な関係ですよね。もっとも、互いに親交はなく、ちゃんと話したこともないそうですけど、「金澤選手が考えていることは、だいたいわかるよ」と、中村憲剛が笑っていたことがありました。面白いなぁ。

 金澤慎は東京ヴェルディ時代に取材したことがあります。当時は20代前半の若手でしたが、すでにお子さんもいる立派なパパで、職業体験にも参加していたりと、しっかりとしている選手という印象でした。取材対応もすごく真面目で、一度、サッカーマガジンで彼を取材して特集記事を書いたのですが、雑誌が発売してから、僕を見つけるなり、わざわざ「ありがとうございました」と律儀にお礼を言ってくれたりと、好青年でした。

 2016年の1stステージ第17節大宮アルディージャ戦(2-0)。

そのミックスゾーンでのこと。普段はアウェイチームの選手の取材はしないんですけど、スタメンで出ていた金澤慎に「毎年のようにマッチアップしている中村憲剛とはどんな存在なのか」を聞いてみようと思い、話しかけてみました。他の記者がいなくなったところを見計らって挨拶すると、僕のことを覚えていてくれて、取材はスムーズに進みました。

 川崎のパスワークに関しては、中をしっかり閉めて対応しようと意識していたこと。しかし我慢しきれず失点してしまったことなどをチームの反省点として挙げて話してくれました。

 そして本題に。中村憲剛とのマッチアップで、この日はどんなことを心がけていたのかを聞くと、昔と変わらず淡々と話してくれました。

「今日は(中村憲剛が)立ち位置が左の中盤でした。ただ中に入ってきて、仕事をされると嫌だったので、そこは厳しくやっていこうと意識はしていた。それでも、普段は経験しない形でパスが出てくるので相変わらずレベルが高いと思いましたね。後ろを向きながらも、前に出してくるので・・・」

 そしてJ2のときから10年以上マッチアップし続けている関係であることにどんな感情があるのかも聞いてみました。その際に、中村憲剛は「話したことはなけど、金澤選手が考えていることは、だいたいわかる」と言っていることを伝えると、彼は少し表情をほころばせていました。

「僕も話したことはないですけど・・・・なんだろうな。やっぱり尊敬している部分はありますね。その中でも、しっかりと潰さないといけない選手ですね。実力がある選手なので、対戦するときは常に自由にプレーさせたくない、やらせたくないという気持ちでやっています」

 言葉ではちゃんと話したことないけど、ピッチ上ではたくさんの会話を交わしているわけで、しかもお互いにリスペクトの気持ちがある・・・いいですねぇ。こういう話を聞くと、フットボーラーにしかないお互いの熱い気持ちを感じますね。

 ちなみに試合翌日の麻生で、中村憲剛にそのことを報告したら、「初めて聞いたよ、(金澤慎からの)個人評は。うれしいね」と喜んでいました。

------

 これが2016年の夏の話です。

川崎のケンゴと大宮のシン。両者の対戦カードでの名物として、まだまだ見ていきたいなと思っていましたが、大宮は2018年からJ2を戦っており、今シーズンもプレーオフの末に敗退。そして金澤慎は引退を決めました。

現役生活、お疲れ様でした。


(※今回の記事は、過去のゲームレビューから抜粋してリライトしました)





ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートは、継続的な取材活動や、自己投資の費用に使わせてもらいます。