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なぜ私は役者を目指したか・演技の治療効果

元(売れてない)舞台女優。

という経歴が、セラピストなりたての頃は恥ずかしくて、

「石川さんって前、劇団やってたんですよね!
女優さんだったんですよね!」とか人から言われると

「目立ちたがりだったんですね!
でも才能無かったんですね!」

と言われていると脳内変換して思い込み、頭を抱えるという(笑笑)苦しい時期がありました。


しかし現在の私は
「演技を見せたいという願望は何か・人前で演じる行為とは何か」
がわかっているので、自分の過去が全く恥ずかしくなくなりました。


皆さんはいかが思いますか?
「女優」というと、美しくて華やかなイメージかもしれませんが、
誰でもがなりたいものかというと、そうでもないですよね。


セリフを覚えなければいけないし、多数の人目に耐えなければいけないし、
オーディションの試練に耐えなければならないし、並々ならぬ訓練が必要だし、体力・肉体管理が必要だし、
会社員と違って安定はしないし、どれだけ努力しても、努力が報われるとは限らないし。
…という職業ですから。


それでもなぜ、ある人々(私含む)は、役者をやろうとするのか。

目立ちたいだけなのか?

いや、そうだとしても、なぜそんなにまでして、目立とうとする必要がある?…


それは

自分の傷を人目にさらし、

温かく受け入れてもらう

**必要があるから。 **


最近はあまりやってないようですが
以前NHK・BSで「アクターズ・スタジオ・インタビュー」
という米国の番組をよくやっていて、好きで見ていました。

アクターズ・スタジオという、役者なら誰でも知っているニューヨークにある超有名な俳優養成所で、有名なハリウッド俳優を招いて、インタビューをする番組です。


この番組で、定番となっていた質問が

「ご両親が離婚したのは、あなたが何歳の時でしたか?」

というものでした。
つまり、ハリウッドで大成功するような俳優たちは、ほとんど、離婚家庭で育ったというのが定番だったのです。


このことが物語っているのは、
俳優は、子ども時代の愛情が欠落している人が多い、ということでしょう。
(注:親が離婚→子どもへの愛情欠落、と短絡的に理解しないでください。離婚するべきなのに無理に婚姻を続けて、かえって崩壊家庭になる例もあります。離婚によって子どもがむしろ健全に育つことも多いです)

愛情とは「温かい眼差し」であり、
子どもはこれが欠乏していると、「身を切られるような寂しさ」を感じます。

※寂しすぎて「死に物狂いのストローク」をやっていた10代の石川についてはこちら→「〇〇療法」「〇〇セラピー」はもう、いらない


寂しすぎる子どもは、
自分を傷つけることや、他人を傷つけることや、迷惑をかけることなど、手段を選ばず死に物狂いで、他者からの眼差しを得ようとすることもあります。


どんなに褒められる行動をしても、温かい注目(愛情・承認)を得られなかった時、人はそうならざるを得ない、とも
言えるのかもしれません。


俳優というのは、
たとえ主演俳優であっても、カッコいい姿を見せるだけでなく、必ず試練があり、カッコ悪く傷ついたり、迷いや弱さをさらけ出す演技によって、観客の心を掴みます。

俳優は弱さをさらけ出すことが、恥ではなくむしろ、
共感を呼び賞賛されることになる。

これが、演技というものの「逆説」です。


人は通常、弱さを見せることは恥ずべきことと考え、弱さをさらけ出さないように生きているものですが、
俳優は弱さを見せることこそが、仕事。


だから、「傷ついた子どもたち」は俳優を目指すのです。
かつて、抱きしめてもらえなかった心の傷が、寂しさが、苦しみが、
観客の心を打つのだとわかると、これが天職だと感じるのかもしれません。


ちなみに、アクターズ・スタジオでは、自分の「心の傷」を積極的に演技に持ち込むよう演技指導をしています。

スタジオ創設者で伝説的指導者であるリー・ストラスバーグは、

「ダメです。どうやっても涙が出ません。自分は感情が動きません」という俳優の卵の青年に対し

「感情が動かず、自分は空っぽだという人ほど、豊かな感情を抑え込んでいる可能性がある」
と、その著書の中で述べています。

ここにも、逆説がでてきます。

自分の感情があまりに強く、それを解放したら正気を失ってしまうのではないか、
自分が自分でなくなるか、取り返しのつかないことになるのでは、
と恐怖さえ感じている人が「無感動」で機械的な人になっていることは、よくあることです。

そこでストラスバーグは言います、
「大丈夫です。何も恐れることはありません。
感情を解放しなさい」と。

こうしたやりとりは、まるでセラピーですね。


感情の解放は、共に演じる仲間や演出家や観客を信頼することによって、可能になります。

「感情を出せない」のは、人を信じて

いないからです。

(ちなみに、怒りなどの攻撃的な感情だけならいくらでも表現できるという人がいますが、これは幼児的な甘えの表現であって、大人がそればかりやると共感を呼ぶ感情表現にはなりえません。)


私は舞台俳優をやっていましたので、こうしたことをよく知っています。

舞台では、何日も続けて同じ演技をしますから、
毎日毎晩、心の傷をえぐっては観客の前に晒すのです。

これはとても特殊な仕事だと思いました。

日常では、人は心の傷をそこまでえぐり続けるというのはあり得ないことです。

しかし、毎日毎晩、傷をえぐっていると、そのことが当たり前になってきて、

感情というのはコントロール可能なのだ
という感覚が得られます。

また、思い起こす自分の「心の傷」にも飽きが生じてきます。


これは、心理療法でいうところの

暴露療法と同じ効果と言えます。

暴露療法とは、自分が恐れているものに敢えて近づいて飛び込み、慣れるということを目指す心理療法ですが、
何度も繰り返し「心の傷」に暴露することによって、そのことが色あせてくる、飽きてくる、あるいは「前とは違って見えてくる」という変化が起こります。



俳優を目指す「傷ついた子どもたち」は、こうした「演じることの治療効果」を、
はっきりとは意識していないでしょうが、直感的に感じとっているのではないでしょうか。


俳優を目指さなくても、サイコドラマではそうした効果をもたらすことが出来ます。


「心の傷」を感じる方、そのことを自分ではうまくコントロール出来ないと感じる方は、ぜ私のワークショップにいらしてください。

皆様との出会いを楽しみにしています。






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