無意識からもらったメッセージ①加害者意識は取り扱い注意

今回は長いです、すみません。

さて、夏休みバカンスで初ハワイに行ってきた石川ですが、私は「ハワイっていったら、やっぱ真珠湾見に行くよね〜」となる人です。

これは、興味が大きく分かれるところと思いますが、
私は、サイパンでも「戦跡ツアー」なるものに参加し、
かつて日本人が作った神社の鳥居がぶっ倒れてるのとか、火炎放射器で焼かれた塹壕とか、誰も片付けないから錆びた銃器がとっ散らかってるのとか、見に行きました。

サイパンの時、私は30歳くらいでしたが、戦跡ツアーの参加者は60代以上ばかり。
なおかつガイドさんの説明を熱心に聞いているのは私くらいなもんでした。

一緒に行った当時の夫は「なんでゆりちゃんは、こういうの好きなんだろうか(笑)廃墟マニア?とも少し違うし。ヘンな人だよね〜」と言っていました。

確かに、私は政治的な人ではありませんし。
思想や戦争に興味ありません。
思うに、やっぱり人のココロに興味があるんです。

例えば、猟奇殺人事件とか、
エリートなのに人を殺しちゃったとか、自分の子を殺したとか親を殺したとか、
なんで?なんで?ってワイドショーでやりますよね。
みんな、やじうま根性でも何でもいいですけど、興味持ちますよね。

私の興味はたぶん、それと同じです。

そして、自然な自分の興味に素直に従いつつ、自由に連想を広げていきます。
そうすると、意識的な自分よりも賢い無意識さんが、重要なメッセージをくれることがよく、あるんですよ。

よかったら、皆さんもお試しください。
悩みが解決しやすくなるかも。

さて、真珠湾ではまず30分くらいのドキュメンタリー映画を見せられます。
これを見て日本人として感じなければならなくなるのは
「た、大変に…申し訳ございませんでしたあぁぁぁ!」
という感情。

広島平和記念資料館なり長崎原爆資料館なりを訪れた米国人は、同じ気分にさせられるのでしょうか、、、。

そして、私のココロにふと浮かんだのは

「人は、加害者意識というのを持ち続けることは、(つらすぎて)耐えられない」。

周りにいる米国人観光客たちを恐る恐る見回して、
「もう今は日本人に…怒ってない…よね?」と上目遣いに確認したくなるのでした。

逆の「被害者意識」
は、ヒジョーに多くの人が簡単に持ちます。

日常のささいなものも含めれば、いつだって人は「被害者」になります。
「足を踏まれた!」とか「待たされた!」とか
「こんなに頑張ったのに、認めてもらえなかった!」とか。

「被害者」は、たいていの場合、声を大にしてそのことを叫べる。
(だって自分は悪くないから)

しかし、「加害者」がそのことを言葉に出すことはないし、出来ない。

そりゃそうですよね。誰も自分が「加害者」なんて、思いたくないじゃないですか。
そんなこと認めたら、まともな神経の持ち主なら、生きていられないじゃないですか。

では、こころの奥底に「加害者意識」がある人はどうなるかというと、
2パターンに分かれるようです。

パターン①
加害者意識を抑圧できず、強い罪悪感のあまり、自分に罰を与える

パターン②
加害者意識を抑圧し、意識の上では何も感じてないけど、なんか無性に「被害者」が気になり、イライラしたり、あるいはナゼか人助けをしたくなる(無意識的な罪ほろぼし)

今回は、②のパターンについて考えます。

本人にそういう意識は無いのだけど、無意識的に申し訳なく思っているから、「なんかしてあげないと」と思うんです。
自分が悪者にならないために。責められないために。

で、それがたまたま上手くいって、なんかした相手から感謝されたりなんかすると、「無意識的加害者意識の人」はホッとします。
「よかった、自分、加害者じゃない」となって、悩む必要無くなります。

ところが。
この手の「罪ほろぼし的な何らかの行動」って、あんまり上手くいかないことが多い。

だってその行動の根本動機が、「自分が責められないため」だったりするので、
本当に相手のことを考えてるんじゃないので、ビミョーに的が外れてたりするわけです。

そうすると、相手のココロに響かない。
感謝されない。
場合によっては、「あんた何がしたいの、全く意味、わかんないんだけど」
みたいな、冷たいリアクションをされたりする。

罪ほろぼしをしたつもりなのに感謝されなかった「無意識的に加害者意識ある人」はどうするか。

自らの自尊心を保つため、「被害者意識の人」を軽蔑します。極端な場合は攻撃します。
「あー、これだから被害者の連中は!助けの手を差し伸べてるのにヘソ曲げるんだから、よほど頭が悪いんだな。ろくでもない、別世界の人間だな」

…こんな感じ?

「被害者意識の人」は世の中にたくさんいるし、意識しやすいためカウンセリングにもよく来ますが、
「無意識的に加害者意識の人」(パターン②)はカウンセリングには来ません。

来ないけど、「罪ほろぼし的ななんか」をしようとするから、「誰かのために」カウンセリングにうっかり来てしまったり、
あるいは「カウンセラーになろう」とか、
「人を助けよう」とか思っちゃったりして、
私と出会うことがあります。

出会うけど、話がなんか、…噛み合わない。

まだせめてパターン①「自分は加害者の意識がある」って意識化してて、自らの過ちに、絶望し苦悩し打ちのめされて鬱状態とかの段階なら、話は出来ると思う。

…あぁそうか。
最近の私は、うっかり「加害者意識の無意識的な罪ほろぼし欲求に巻き込まれそうになっていて、(過労で)
疲れていたんだわ。」

てなことを、パールハーバーの直射日光の下でうっかり日焼けをしながら、気づいたのでした。

これが、ここ最近の、私の過労の正体でした。

わかってよかった。




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