愛とことば (1/2)

愛とはいったい、なんだろう。

ヘレン・ケラーの自伝の一節を、この稿でも一度引用し、他の著書でも取り上げたことがある。なぜこう何度も出したくなるかというと、それが私にとって、とにかく、大きな大きな謎だからである。

ヘレン・ケラーは盲・聾・唖の三重苦を得ながら、その知性によって多くの人に影響を与えた偉人として知られている。
目が見えず、耳が聞こえず、従って口もきけない、という状態は、まるで闇に閉じ込められたような状態である。彼女自身、その状態を「光も音もない孤独の谷間」と表現した。あるいは他の表現もある。

皆さんは濃い霧の海を航海したことがあるだろうか? まるで、立ちはだかる白い闇のような霧。その中を、大型船が、緊張と不安の中、水深をはかり「測鉛」を頼りに、手探りで岸に向かって進む。(中略)私には方位を知るコンパスも測鉛もない。港までどのくらい距離があるのか知るすべもなかった。「明かりを!私に明かりを!」と魂が、ことばにならない叫びを上げていた。 『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』ヘレン・ケラー著 新潮文庫

彼女は客観的に見れば、決して「孤独」ではなかった。
彼女のまわりには、家族や遊び相手、動物たちなど、いつもたくさんの人々がいた。生来活気に溢れ、やんちゃな気質に恵まれたヘレンは、ワガママを言ったり、ケンカしたり、イタズラをして周囲を困らせるなど、活動的な日々を過ごしていた。
しかしそれでも、彼女は「孤独」だったのである。

この「孤独」とは、なんなのか。
たとえば彼女は、かんしゃくを起こしたり、妹の眠るゆりかごを嫉妬からひっくり返したりしても、大して何も感じなかった。
自分の遊び相手をしてくれる少女に対しても、思いきりワガママ勝手に振る舞った。
さびしさや嫉妬、苛立ち、悪戯をした喜びなどの感情はあっても、感謝や後悔など、人間関係から生じるさまざまな微妙な感情、相手の思いへの想像などは、ほとんど生じなかった。他者への愛情のようなものは、生まれなかったのである。

そんな彼女が家庭教師アン・サリバンに出会い、「ことば」を得る。
サリバンに教えられ、手のひらに指先で綴る文章を通して、コミュニケーションができるようになる。
言葉を得て、彼女は「愛を知った」と語る。

このエピソードからなんとなく想像されるのは、まず言葉による対話の方法を学び、その方法を通して他者との様々なコミュニケーションが生じ、その結果、ヘレンの胸の中に愛情が湧き出す、という段階的なプロセスである。

しかし、それは大きな誤解である。
ヘレンは、言葉と愛を「同時に、一瞬で」得たのである。
これこそが、私にとって、おおいなる謎なのである。

この「一瞬」の訪れは、ヘレン自身によって明晰に語られている。


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マルジナリア・2

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