脳みその余計なお世話。
にっこり微笑んだ顔をムリヤリ作ると、本当に楽しい気持ちになってくるそうだ。わざと「あはは!」と笑うと、だんだんおかしくなってくるらしい。
試してみると、確かにそうなる。
これは笑いだけではない。
眉をひそめて、むっとした顔をしてみる。
特にむっとするようなことがなくても、だんだん不機嫌になってくる。
「表情を作る」ことで、「感情を作る」ことが可能なのだ。
脳みそが、そういうしくみになっているのだそうだ。
最近「ソーシャル・ディスタンス」ということが言われる。
道で人とすれ違うとき、マスクをした顔で互いに、相手を避けるように遠ざかる。
お店でも、人が近づいてくると、とびのくようによける。
もちろん、感染をできるだけ防ぐためだ。
ひとをよける。
ひとからはなれる。
この行動が「ある感情」を生むのに、最近、気づいた。
身体が大きく、人を避ける動きをする。
すると、相手に対して、なにかとてもネガティブな気持ちになってしまうのだ。
それは「嫌い」とも「怖い」とも「きたない」ともつかない、それらのごちゃごちゃっとなったような、ヤニのような、ほんとにいやな感じだ。
別に相手のことを何とも思っていないのに、相手を避けなければならない。そうすると、相手に対する変な感情が、あとからくっついてくるのである。
これに気づいて愕然とした。
もちろん、私だけかもしれない。
でも、人間のあたまはとにかく、「後付け解釈」がうまいのである。
自分が何らかの表情をしたら、脳みそが「これは、こういう気持ちだからこういう表情をしたんだろうな」と解釈して、そういう気持ちになる。
「笑顔を作ると楽しくなる」のは、そういうことだ。
笑顔をしている、と脳が感知して、「これは楽しいんだろう、じゃあ、楽しくしなきゃ」となって、楽しい感情が出てくる。
脳みそは、至ってノリがいいのである。
ゆえに、理性的に感染症を避けようとして、好きでも嫌いでもない知らない人を「よける」と、「なるほど、身体がよけてるってことは、この人のことがイヤなんだな」とアタマが勝手に解釈して、そういう感情を生み出してくれちゃうようなのである。
全く余計なお世話なのである。
さらに。
現状の日本では「距離を置かなければならない」という情報がまだ、いきわたりきっていない。
「手を洗う」「マスクをする」「むやみに出歩かない」はかなり知られているが、「道や店の中で、他人と二メートルくらい距離をとる」という情報は、知らない人も多い。
だから、こちらがよけても、むこうがよけてくれないときがある。
おたがいに1メートルずつよけ合えば、すぐ2メートルあくのだが、片方しかそれを知らない場合、知っている側だけが大きく遠ざからねばならない。
このとき、「いやな感情」がさらに強化される。
なんて非常識な人だ、よけてくれないなんて。こっちがよけなきゃいけないじゃないか。無責任な人だ。
そういう気持ちが「あとづけに」「勝手に」生じるのである。
これはほんとうに、こまったことだ。
このことに気づいた私は「何とか対処しなければならない」と考えた。
そして、思いついた。
U字工事さんである。
「ソーシャル・ディスタンス」を意識して他人との距離をとろうとするとき、かならず、心の中で、あの「ごめんねごめんね〜!」を唱えるのである。
心の中ではなく、マスクの中で囁くと、さらに効果的である。
これをすると、一気に優しくなれる。
アタマが、勝手に変な解釈をしなくなるのだ。
人を嫌いにならないで済むのだ。
私と同じ現象に悩んでいる方がいらしたら、是非、試して頂きたい。
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某県で、他県ナンバーの車にいたずらをする、という事件が起きたという。
これも、「アタマの、余計なお世話」がきっかけなのではないだろうか、という仮説を、私は抱いている。