「職業意識」のありか。(2/3)
前回、タイトルを考えたとき「職業アイデンティティ」みたいな感じにしようとおもったのだが、「なにかどうも、大袈裟だな、、日本語で言えばどうだろう」と思って「職業意識」としてしまった。
が、実は書きたかったことのキモは、「職業意識とは」「プロフェッショナルとは」みたいなことではなかった。なので、タイトルに惹かれて購読された向きには、ご期待に添わないかもしれず、大変申し訳ない。
書こうとしているのはこのマガジン全体のメタテーマ(?)である、「運命とアイデンティティ」の話である。今回はそこに「仕事」がちょっと入っている、という次第だ。
以下、冒頭は前回の続きのように見えないかもしれないが、後半に話が戻るので、少々ご辛抱頂ければと思う。すみません。
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生まれてから27歳までレバノンで育ち、その後フランスに移住して22年暮らしてきたジャーナリストで、作家でもあるアミン・アマルーフは、彼の「アイデンティティ」を尋ねた人に、こう答える。
ということは、半分がフランス人で、半分がレバノン人ってこと? とんでもない! アイデンティティを切り分けることはできません。半分にわけたり、三つに分けたり、細かく区切ったりはできないのです。私には複数のアイデンティティなどありません。ただ一つのアイデンティティしかないのです。このアイデンティティは様々な要素から成り立っているのですが、ただ、その「配分」が人ごとにまったく異なるのです。(『アイデンティティが人を殺す』アミン・マアルーフ著 ちくま学芸文庫)
しかし、質問者はここでなぜか、食い下がるのだ。
「あなたがそうおっしゃるのはごもっともです。でもね、自分のいちばん深いところでは、自分を何者だと感じていらっしゃるんですか?」
「心のいちばん深いところ」に、真実の帰属意識、ほんとうのアイデンティティがある。質問者はそう「直観」している。
それは要するに、あの本質的な帰属なるもの -- たいていの場合、宗教か人種か民族なのですが -- を、自分のいちばん深いところに見出し、他の人々に向かって誇らしげに掲げなくてはならない、ということなのです。
彼はこの考えを、危険なものだと捉える。本のタイトルの通り「人を殺す」危険をはらんだ人間観だからだ。
では、彼の考える、あるべき「アイデンティティ」とは何か。