「一度だけ」を容れるもの。 (1/3)
7月の「愛とことば」というエントリで、ヘレン・ケラーの件をとりあげた。ヘレン・ケラーといえば小学校の図書室に必ず伝記が置かれている「偉人」である。私も例に漏れず、読んだ。読んで読んで読み、熟読した。
ゆえに、ヘレン・ケラーは私の小学校時代の友だちのような存在で、心の距離がとても近い。
しかしそれは子ども向けに書かれた伝記本であって、彼女自身の手になる『ヘレン・ケラー自伝』は、ずっと未読のままだった。
それが一昨年、ジュニア版『12星座シリーズ』の執筆にあたって、はじめて『自伝』を手にした。このシリーズでは各星座の偉人を紹介したのだが、蟹座代表としてほかならぬヘレン・ケラーを選んだのだ。
ヘレンの誕生日は6月27日で、私は6月29日。彼女が自分と同じ蟹座だということを、私は覚えていたのである。
ヘレン・ケラーは小学校では有名人であったが、中学生以降の人生では、どんな場でも出会うことがなかった。教科書やものの本などにも、ちらりとも登場しなかった。私は心理学などにも興味を持ってあれこれ(偏食的にではあれ)読んできたが、ヘレンのハナシは噂話程度にも見かけなかった。誰知らぬ者とてないのに、大人の世界ではなぜかどこにも出てこない幻の偉人、それがヘレンだった。
だが先日、コンラート・ローレンツの『鏡の背面』で、久々にヘレンの名が目に飛び込んできた。そこには「なぜ、小学生以来、まったくヘレンに出会わなかったのか」という謎の、ひとつの答えが書かれていた。