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チャーリー・ワッツがストーンズにもたらしたもの

 ローリング・ストーンズというバンドを考えるとき、彼らはつくづく不思議な力を宿したバンドだなぁと思う。ミック・ジャガーのカリスマ性あふれる歌とステージ・パフォーマンス。キース・リチャーズのリフ作りの才と滲み出るヒロイズム。そこには人を惹きつけてやまないカッコ良さがある。ただ眺めているだけで伝わってくる二人のエネルギーは、誰もが感じとれるわかりやすい魅力だ。
 一方、そんな二人の背後で、特に目を惹くような存在でなく、主要メンバーのお供のようにしか見えない男たちがいる。ビル・ワイマンとチャーリー・ワッツの存在は目立つ二人の陰にまったく隠れてしまい、浮かび上がってこない。バンドは何度かメンバーチェンジをしてきたが、彼らの立ち位置はなんら変わらず、バンドの黒子的なポジションが彼らのアイデンティティだ、とでも言わんばかりだ。対照的なふたつのグループから成り立つストーンズというバンドは、それこそが途轍もないパワーを生み出す絶妙なコンビネーションのひとつのかたちだった。

 彼らの演奏はけして鉄壁なものではない。ただし、それはまったく問題にすべきところではない。彼らが一緒になって演奏するとき、そこには奇妙な融合が生まれ、それが豊かで味わいのある唯一無二の音楽へと熟成されていく。メンバーのリズム感覚は一人ひとり異なり、それがバンドとして演奏されるとき、リズムはつねに不安定と対峙することを余儀なくされる。その活動初期こそ、基本的な定型のリズムに則って理路整然とした演奏をし(ようとし)ていた彼らだが、バンドとして成長していくにしたがい、定型から離れた独特のグルーヴを体得していく。

 バンドはキースのリズム感覚に合わせることを命題にしていたように思えるが、そこにチャーリーはハマった。キースがチャーリーを高く評価しているのは、逆をいえば、キースのリズム感覚は独特であり、その独特なリズムに合わせることができ、さらにそのニュアンスまでをも汲み取れるミュージシャンはチャーリーしかいないということでもある。そしてチャーリー自身もキースに合わせることをとても楽しみ、キースの片腕ともいえる存在となった。

 そもそもチャーリーも不思議なドラミングをするプレイヤーである。スネアを叩くときハイハットを抜くやり方はいまや彼の代名詞のようなものになっているが、そこでのビートの微妙なアクセントと連動のなかで生まれる変化は細かな揺れとなってサウンドに還元される。それはまるでキースのギターとのシンコペーションのようだ。

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