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デュラン・デュランの「The Reflex」との闘い 〜後編〜

 隣りのお兄ちゃんの日課をどうやって止めるか。悩まされるばかりだった大きな問題に対し、一計を案じた。当時、イギリスのアングラものばかり聴いていた自分は、音楽好きというわけでもないお兄ちゃんに、知名度のない、少しばかり癖のある音楽を浴びせかけてやろうという作戦を立てたのだ。

 まず選んだのが、アナーコ・パンクのクラスだ。傑作『Penis Envy』はその攻撃性といい、荒々しい存在感といい、大メジャーなバンドに向けての最適な刺客に思えた。そしてアソシエイツの『Sulk』。彼らの、耽美的で、にじみ出る艶っぽさは、どちらかといえば清純なイメージのデュラン・デュランにぶつけるには挑発的に思われた。カラッとしていて健康的な陽の相手を、少々病的で退廃的な陰のアソシエイツが迎え撃つのは痛快に思えた。そしてコクトー・ツインズの『Treasure』だ。あまりに美しく幻想的なサウンドは、騒々しいわいやいやいやの対極にある静けさだ。個人的に彼らの音楽に冷静沈着さみたいなものも感じていたこともあり、お祭り騒ぎみたいに浮かれてるんじゃないぞという嘲りのニュアンスもあった。

 さて、この3枚のアルバムをお兄ちゃんはどうとらえるのか? 夜にお兄ちゃんが静かめにデュラン・デュランをかけているとき、自分はアソシエイツとコクトー・ツインズをお兄ちゃんにねっとりと聞かせるようにかけてみた。朝に爆音で鳴るわいやいやにはクラスをぶつけた。夜はわりと静かな闘いだったが、朝の対決は熾烈を極めた。とでかい音で鳴り響く両者の鍔迫り合い。明確に騒音である。近所迷惑であることはわかるがそうも言ってはいられない。長い「The Reflex」一曲と闘うのに、クラスの短い曲は三曲を要した。わいやいやの連発となると、クラスはアルバム一枚を費やして闘った。

 わいやいやは強かった。クラスは攻撃的に攻め立てたが歯が立たない。わいやいやの壁は高く、そして厚かった。さすがナイル・ロジャースである。しかも『Lets Dance』や『Like A Virgin』など、ヒットメイカーとして脂が乗っている時期の無敵のナイルだ。強力なパワーとヘヴィなコマーシャリズム。たった二日間で勝敗は決まった。クラスは善戦したが、わいやいやのグルーヴに飲み込まれ、蹂躙された。

 クラスの奮闘を称えているとなにか不穏な気配を感じた。部屋から外を見ると、家の前を歩く登校中の高校生たちがなにかヒソヒソ話しながらこちらを見ている。なかには確実にイヤな表情を浮かべる者もいた。高校生たちは聞いたこともない、ヘンなパンクが聞こえてきたことに、はっきりと不快感をしめしていたのだ。泣きっ面に蜂である。

 それからというもの、朝は無抵抗、夜は静かに抵抗というスタンスで臨んだ。アソシエイツ、コクトー・ツインズの他にも、お兄ちゃんに聞こえるようにいろいろとアングラものをかけ続ける毎日。お兄ちゃんから反応らしい反応は一切なかったが……。
 その後、どういうわけか二週間ほどでわいやいやの回数は減っていき、やがてまったくかからなくなった。わいやいやは自然消滅のようなかたちで、静かに退却していった。わいやいやはお兄ちゃんを手放した。

 静かな朝は戻った。わいやいやはもう聞こえない。鳥のさえずりもはっきりと聞こえるようになった。爆音の心配がない、以前のような爽やかで清々しい朝。待ち望んでいた日常が戻ってきた。

 が、わいやいやは暫くの間、モーニングコールのように自分の耳にこだました。やっぱり一日の始まりはクラスよりわいやいやの方が……、そんなふうに思い始めてもいた。お兄ちゃんがあの曲をかけるのを止めたとき、知らないうちに今度は自分が捕食されていたのである。

 

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