見出し画像

名倉

裏路地から静かに入り口を開けて中にはいると、ちょっとびっくりした顔をされる。

ん?あれ?やってないの?と聞くと、やっているという。

たまに客が全くいなくて店主がカウンターの中で暇そうにしているお店で、こういう対応をされることがあるけれど、まあ一見客ってのがこの町ではそもそも珍しいのかも。

カウンターの上にはカオナシが。

毎年夏にログハウスの別荘で合宿し、そこに置きざりになっていた姪っ子たちの少女漫画を読み、次回作へのヒントにするという宮崎駿。

それはまあいいだろう。

しかし彼は、その作品を原作として自分の長篇アニメを作る際に、主人公含め登場する人物の年齢設定や、舞台設定、その他原作者が大切に作り上げていただろう背景を、いとも簡単に反故にして、勝手に改変してしまう。

その作品へのアプローチ、自らの名を冠した作品の制作過程に、クリエイターとして、映画を作る者としての姿勢に、もの凄く違和感を感じるのだ。

そういう意味で、宮崎駿に原作へのリスペクトは、ことごとく全く感じられない。

天下のジブリ、宮崎駿のやることに(実際興行的にヒットしてしまうので)逆らったり、それはちょっとおかしいのでは?と意見する者はいないという不幸。

それが彼を裸の王様に仕立て上げているのではないだろうか。

そんなことを、原作改変というトレンドワードで思い至った。

芦原妃名子さんはまさにワタシと同年代。
作品そのものを含め、登場人物のキャラクターや世界観は全て作者の実の子供のようなものだろう。

それらを蹂躙された気持ちがいかばかりのものか。

作品を愛していた読者、ファンの存在で、せめて彼女の魂が救われることを切に願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?