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石井理加再生への道⑦

友達が凧揚げをする会に行くと聞いて、ついて行った。
河原に集まってレジャーシートを広げ、音楽を掛けて持ち寄りパーティーをしつつ、凧を上げたり、バドミントンをしたり羽付きをした。
凧揚げなんて何十年ぶりである。

会を主催する人たちから凧を貸してもらい、教わりながら、手を借りながら、凧を飛ばした。
楽しかった。
晴れた河原は気持ち良かった。

凧はメンタルに似ているなぁと思った。
風がない時はどうにも凧は浮かび上がらない、飛ばない。風を待つしかない。
起き上がれない時、立ち上がれない時。元気や気力が回復して気持ちが前向きになるのを待つしかない時がある。

風を感じたら、どの方向に風が吹いているのかを確認し、風の流れに乗れる向きで凧を浮き上がらせることにトライする。
これもメンタルに似ていて(というか私のメンタルの扱い方に似ていて)、落ち込んでいても浮き上がれそうなタイミングがあったら、浮き上がることにトライする。
いつまでも落ち込んでいては、つらい悲しいしんどいの気持ちのループをぐるぐると巡り、負の感情が増大するだけなので、そこから抜け出せそうな可能性が少しでもあれば、そのタイミングを逃してはいけない。
少しでも兆しを感じたら、トライしなくてはいけない。

あと、凧揚げの面白味は、凧が風に乗ったら糸を伸ばして、より高く遠くに上げることだと思うのだが、私は高く遠く飛ばすことに抵抗があって、いい調子に飛んでいても糸を伸ばせなかった。
凧が遠くに離れていくのが不安だったし、怖かった。

思い返すと、それで落ちてしまったら嫌だとか、糸をたくさん出した状態で凧が落ちると糸が絡まってほぐすのが大変だとか、またあげるのに人の手を借りないといけないから申し訳ないなとか、そういう自分のネガティヴな考え方しかなくて、ほとほと呆れた。

落ちてしまっても、何度でも上げればいいのに。絡まった糸だってねじれているだけだから、そんなに複雑に絡んでいるわけではない。最悪切って、結び直しても良い。
みんなで凧揚げをするのは楽しい、誰かの手を煩わせているわけではなく、一緒に楽しんでいるのだ。

このまま行くと死ぬ間際になって、凧をもっと高くあげていれば良かった、高い方のコースを食べておけば良かった、誘われた短歌の会に出ておけば良かった、等々の後悔をするタイプである。

まさか凧揚げでこんなに自分と向き合うことになるとは思わなかった。
が、それは単純に楽しかった。
また凧揚げをやりたくなって、そして自分のネガティヴさを少し変えたくて、凧を買った。
今度はもう少し、高く遠くに飛ばせたら良いなぁと思う。

主催者のしらないひと。さんが私が凧を上げている時の写真を送ってくれた。
思ったより高く上がっている。
人生そんなもんである。

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