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親の始末
親類の一周忌に参加した。
お墓がなかなか作れなくてやっと抽選で当たったとのこと。
お墓って永遠に増えていくばかりでどうやって新しい区画が売り出されるのか謎に思っていたけれど、今は墓じまいというものがあるらしくその区画を細分化してまた売りに出すというシステムらしい。
街中でも一軒家が取り壊されたかと思うと、狭小三階建住宅が三つぐらいあっという間に立ち並ぶのと同じ感じだ。
葬式ぐらいしか顔を合わせない遠い親類。
それでもほぼ年齢順に空に還り、子どもだった我々が喪主を務めるようになる。
集合写真と撮れば、写った自分の顔は明らかに老けこんでいる。自分の両親はまだ健在だが死んだ時には面倒な手続きをしなくてはならないわけだ。
正直それを思うと憂鬱だ。
『家族遺棄時代』という本を読んだ。
家族遺棄ビジネスーー
毒親だったり疎遠になった家族の最期を家族以外の第三者がサポートする受け皿はないのだろうか。実はそんな親の最後を引き受けている団体がある。
我々の仕事は完全に子供たちの親の姥捨の尻拭いですよ
めんどくさい親子の最後をお金で解決したい人はうちにどうぞ
合理的なビジネスだなあと思った。
親子関係にはそれぞれ事情がある。当然のこと。
良好な親子関係にあった人には理解できないのかもしれないが
毒親育ちの子供からしてみれば、親が歳をとったからといってその責任を背負わされるのは理不尽でしかない。
きっと第三者なら受け流せる言葉でも、
些細な言動一つでも
子供の古傷を掻きむしり心を荒らすのだから。
究極のゴールはもしかするとそんな親の存在すら赦せること
なのかもしれないが
その境地に至るまでにはまず
「そんな親を嫌いでいる自分を赦す」
「まず自分の幸せを最優先にすることを自分に許可する」
というプロセスを踏む必要があると思っている。
だからこそそういう代行サービスを利用するのは大切なことだ。
第三者があれこれ言うのかもしれない。
でも子育てで保育園を利用するのに文句を言う人もいない。
それと同じではないか。
私自身は、親のことが嫌いだから
会いたいとも思わないし
もっとああしておけばよかったと思うこともない
無理して旅行に行こうとも思わないし
食事を共にしたいとも思わない
自分の気持ちが整理できたので
代行サービスを使わなくてもいい
ただ淡々と対応するだけだ
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