お別れ
株式会社石黒金属製作所の北山です。東大阪市で製缶、鈑金、溶接業をしています。
少し前に書いた16歳半の実家のマルチーズが、3月の終わりに亡くなりました。
亡くなる前の日も自分でトイレに行き、最期までヨボヨボしながらも自分の足で歩いていました。
障害も少しあり、飼い始めたときから、12年くらい元気に生きられたら良いのかなと思っていたのですが、16年半も一緒に過ごせて幸せでした。
宝塚にある動物霊園でお葬式をしてもらいました。山手にある景色の良いところで、犬のお葬式だからといって手を抜くことなく、きちんと対応してもらえました。
亡くなった後もお参りにくる方も多く、動物霊園と言う場所にしては賑やかで、愛犬家、愛猫家の方が多いんだなと実感しました。
頭ではもういないとわかっていましたが、居なくなったことはものすごく悲しくて、なかなか言葉にできませんが、晴れていても息苦しく、毎日気持ちが沈んでいました。
しかし、僕の気持ちが沈んでいる以上に、父と母の落ち込み様が酷く、深い深いペットロスになりました。
毎日一緒に布団で寝たり、家にいる時はずっと一緒だったので、ある点では子供以上に可愛がっていたとおもいます。
大人にならない子供がある日突然居なくなったような感覚だったのかもしれません。
僕は犬と週に一回くらい会う感じだったので、少しずつ老化していっているのは感じていました。両親は犬の老化の事実を認識しようとしていないところはありました。
そういったこともあり、それから1ヶ月は両親はいつも泣いて塞ぎ込んでいました。
父はいない犬が家の中で見えるといい名前を呼んでいたり、話しかけたりしていました。母は小さな白い犬の人形を持ち歩いていました。
僕の励ます言葉は、長生きした、幸せだった、泣いたてたら犬が悲しむなどの言葉で、ネットで調べたらすべてペットロスの人にかけてはいけない言葉だったので、もう何も言えなくなってしまいました。
お前にはわからない!みたいに言われてしまいました。そうなんです、僕にはわからないんです。僕は長生きして幸せを与えてもらったと心から感謝していたので、もっと生きるはずだったと言われても、あれ以上生きていたら逆に犬も辛かったんじゃないかとおもっていました。
どんよりとした空気が実家を包みこんでいて、とても近づきにくくなりました。なんとかしないといけないなとおもい、奥さんや姉の家族、色んな人と相談して、なにか解決の糸口を探すことにしました。
長くなったので続きます。
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