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NetflixのCEOが判断をする時

Netflixは、従業員による独立した意思決定を推奨したカルチャーガイドで有名で、CEOのリード・ヘイスティングス自身も、「何ヶ月もの間、一切自分の判断なしで会社が運営されていることもある」とインタビューで語っている。

その独特の組織形態と意思決定メカニズムが、他の組織でも汎用性を持ちうるのかどうかは、議論があるかと思うし、外からの視点だと、なかなか本当のところは分からない気がするんだけど、少なくともNetflixではその組織形態がうまく回っていて、競争優位性のひとつの重要な要素になっているように見える。

仮にNetflixのように、極限まで現場へと意思決定の権限を移譲した場合、CEOやマネージャーの役割はいったいどういったものになるんだろうか?そんな疑問を以前から持っていたんだけれど、それに対応するような出来事があったので、今日はそれについての記事を読んでみたいと思う。

Quartz at Workの記事「不適切な単語を使用した重役を解雇した、Netflix CEOの素晴らしいメモを読む」。

先月6月22日に、CEOのリード・ヘイスティングスが、不適切な単語を使用した重役を解雇し、そのことについてヘイスティングス自身が社員に対して説明したメモに触れて、

It’s transparent
Hastings explained the complaints against Friedland, and put them in context that would be recognizable to anyone familiar with Netflix’s culture. “[H]is descriptive use of the N-word on at least two occasions at work showed unacceptably low racial awareness and sensitivity, and is not in line with our values as a company,” Hastings noted, before detailing the two incidents.

「透明性」
ヘイスティングスはフリードランドの問題を、Netflixのカルチャーに親しんでいる人間であれば誰でもが理解できる文脈で説明した。 「彼は少なくとも二回にわたって不適切な単語を仕事の場で使用しており、許容できないほど低い人種差別に関する認識と感受性を示し、会社の価値観から逸脱しました。」

It’s honest
Friedland didn’t step down to do some much-needed reflection or to spend more time with his family while assessing new opportunities. His resignation was not turned in and accepted by the board. He screwed up and he got fired by his CEO, plain and simple. “The first incident,” Hastings wrote, “was several months ago in a PR meetings about sensitive words… The second incident confirmed a deep lack of understanding, and convinced me to let Jonathan go now.”

「正直さ」
今回の解雇は、他の会社での事件のように、家族と時間を過ごしながら次の機会を探したり(注:ピクサーのジョン・ラセターを皮肉っている)、取締役会で辞任を承認したり(注:インテルのブライアン・クルザニッチを皮肉っている)というのではなく、問題が起きて、CEOが首を切った、以上である。 ヘイスティングスは「最初の事件は、数ヶ月前に、センシティブな言葉に関するPRミーティングで起きました。そし二回目の事件が起きるに至って、この件に関する深い理解の欠如を認め、私はジョナサンを解雇することを決断しました」

It’s contrite
The shame of what happened isn’t Friedland’s alone. Hastings indicated he regretted not taking action after the initial incident. “I realize that my privilege has made me intellectualize or otherwise minimize race issues like this,” he wrote. “I need to set a better example by learning and listening more so I can be the leader we need.”

「後悔について」
残念なことはフリードランドの事だけではない。 ヘイスティングスは、最初の事件の後にすぐ行動を取らなかったことを後悔していると言った。 「私の権限をもってすれば、今回のような人種問題を、より合理的にあつかうことができたり、あるいは最小限な結果にできたであろうことは理解している」と彼は書いている。 「さらに多くのことを学び、より多くのアドバイスを聞き、皆が必要としているリーダーに私がなれることを示したい」

ここでヘイスティングスは、会社の創業者であるにもかかわらず、明確に、権限あるいはポジションと、実際の人物とを区別しているようにみえる。もし、「the leader we need」に自分がなれない時には他の人間がなるべきだという思想があるように読み取れる。

Netflixのような会社のCEOの仕事は、文化、あるいは価値観の定義で、もし自分がそれにふさわしくない場合はいつでも他のふさわしい人間がCEOになるべきだ。Netflixという会社の思想の特異性、徹底性をここから読み取ろうとするのは、うがちすぎだろうか。

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