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生きることは不確か…
わぁ、想像を刺激する言の葉。
そうよね、生きることは不確かだわ…
確かに…と思っていたことも、時と共に不確かになっていく。
失くし物の多い私は「確かにここに置いた」の確かにさえ自信が持てない。確かならそこにあるはずだから…(笑)
でも…確かな何かより不確かな何かの方がいいのかもしれない。不確かな何かは何物にもなれるということだから…などと自分に都合よく考える☺️

さて、今日は休み。
何を救出しましょうか(救出=草むしり)

あっという間にこの有り様

紫蘇とかぼちゃを救出しなくてわ!

微かに見える黄色い花がかぼちゃ

かぼちゃと紫蘇は去年の種がこぼれて生えてきたもの。
草避けにちょうどいいからそのままにしておいた。
しかし、草に負けた…
その手強い草と戦っていると…
おっ!里芋発見!

この里芋には物語がある。
里芋はじゃがいもと同じく種芋を植えて芽を出させる。
父親は毎年、種芋をそんなにかっ!くらいに作っていた。その種芋をご近所さんにわけていた。
だが、施設に入ることになり畑が出来なくなった。里芋の種芋を掘り起こすこともなくそのまま絶えてしまった。
私が里芋をあまり好きではないこともあり里芋は作っていなかった。

ここ数年、毎年マリーゴールド花壇を作っていた。

去年のマリーゴールド花壇


去年は種取りに大成功したくさんの苗が出来た。それを近所のおじさんにお裾分けしたらお礼にと里芋の種芋をくれた。
「これは稔さん(父親)からもらった種芋で作った里芋だから里帰りしたわけだな」と言われた。
里芋の里帰り…ふふふ
父親が昔作った里芋の命が巡りここで培ったであろう畑に里芋を植えた。大収穫だった。
とても食べきれる量ではなかったのでみんなにお裾分けした。

来年のために種芋を作る。しかし、種芋にするために土に埋めておいた里芋が全て腐ってしまった😭
せっかく里帰りした里芋をダメにしてしまった。

しかし食べきれなかった里芋が春先まで残っていた。
スカスカになってしまった里芋は捨てるしかないか…と思っていた。
どうせ捨てるなら畑に捨ててみたらどうだろう…芽が出れば儲けもの🎶
植えてみたが、やはり芽は出なかった。
せっかく里帰りした里芋は一年の命だったのね…ごめんよ、里芋…と思っていたのだが…

しかし、である!
かぼちゃ救出をしていると…おぉ!これは!里帰りした里芋の芽が!!
ちゃんと生きていたのである。
里帰りした里芋は(言いたいだけ(笑))元気に生きていた!
かぼちゃと紫蘇を救出していたのだが、里帰りした里芋の救出となった。

父親が育て、里子に出た里芋が、里帰りし、翌年も芽を出したのである。
きっと父親は喜んでいるだろう。あなたの作った里芋は脈々と命を繋げ、今ここに生きています!
生きることは不確かかもしれないが、ここに里芋が芽を出したのは確かなことです!
空を見上げ、里芋今昔物語を父に報告した…

父、生きております(笑)

しっかり生きていた里帰りした里芋


そして、はたと気がついた!
「確かなこと」とは結果、過去について使う言葉ではないのか。
過程や未来に使うと「確かなこと」に縛られ、不自由になってしまう。
やはり「生きることは不確かなこと」くらいが丁度いいのである。

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