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幸せは動的なもの

幸せは動的なもの。よき解釈ですねえ。

実感のない名詞が、実は動詞にすると分かる、ということは仏教理解でも多々あります。(死→死する)

「為合=しあわす」は、ピッタリ合わせること。

スマホを気にせずに、待ち合わせて、手と手を合わせて、目と目をピッタリ合わせたら、やはりしあわせ。


》つまりは、「誰かと何か行動をする」こと自体が「しあわせ」ということなのです。もともとは動詞であったことから、「しあわせ」とは状態ではなく「しあわせる」という行動そのものだったことがうかがえます。

》「しあわせ」とは静止状態で享受できるものではなく、つねに動的状態で、繰り返し訪れるもの。

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