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「インド音楽に楽譜ってあるんですか?」という問い。 -- 記譜について

5月某日のインスタライブ「ヌーベルミューズ・トーク」では、楽譜の話になった。

確かに、「インド音楽に楽譜ってあるんですか?」と聞かれることは多い。多くの方々にとってインド音楽は、まだまだ未知の世界なのだろう。そこで、ざっくりとではあるが、私なりに理解していることをまとめておきたいと思う。

まず、楽曲の楽譜というものは、ない
北インド古典音楽についていえば、楽譜を再現する音楽ではなく、即興で演奏される音楽だからである。

ただ、記譜法は、ある
即興で演奏されるとはいっても、自由にやっていいということではなくて、むしろとてつもなく厳格な旋律とリズムのルールがあり、そのルールを内在させたアートマンとブラフマンによってその場で構築されていく音楽、といったところだろうか。
その中には作曲されたパート(テーマとなるフレーズで、バンデッシュと呼ばれる)も含まれている。代々口唱で伝えられてきたものではあるが、近代になって記譜法も確立されてきた。

「ドレミファソラシド」にあたる音名「サレガマパダニサ」については、紀元前500年(200年との説も)くらいに古代サンスクリット語で書かれた舞踊や音楽についての書物「ナッティヤ・シャーストラ」にすでに事細かに書かれていたそうなので、ピタゴラスからあまり差がない時代に、7音階の呼び名まで決まっていたことが知られている。

で、記譜法について。
まず、5世紀の最古の音楽文献「ブリハデッシ」にはすでに、著書マタンガ・ムニによってサレガマによる記譜法が記されていたという。
とはいえ先に述べたように、音楽の伝統は長いこと師匠から弟子へ口唱で伝えられていた。ある時期になってそれを後世に残していくことが意識されはじめ、それぞれの独自の記譜法が用いられてきたようだ。

19世紀になって、そういった各地・各流派のさまざまな記譜法を調べまわって統合発展させた偉人が登場する。ヴィシュヌ・ナラヤン・バートカンデという学者で、膨大な数のラーガを、音の配列によって「タート」と呼ばれる親カテゴリーをつくって新たに分類したり、インド音楽理論の整理編成と教育に貢献したことでも有名である。


そのあとにも、たとえばヴィシュヌ・ディガンヴァ・パルスカルという偉人も、音楽学校を創設して、新しい記譜法を普及させた。この偉人もインド音楽の教育に多大な貢献をしている。

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V.D.Paluskar式記譜法、映像よりキャプチャ

また、ベンガル地方においてはタゴール家の音楽家などによって、新たな記譜法も発表された。

しかし、それらの更新にもかかわらず、今でも一番広く使われているのはバートカンデ記譜法のようで、ゆえにバートカンデ記譜法は北インド音楽の代表的な記譜法として「ヒンドゥスタニ・ノーテーション・システム」と呼ばれている。 

ただ、西洋音楽の五線譜のような完全性や絶対性はなく、また音符のように記号化されているわけではなく言語に依存しているので、たとえばヒンディ語とベンガル語では表記が異なるし、さらにところどころ流派の独自性が混ざっていたりするので、いろいろとややこしい。あぁー、この人はこう書くのかぁ、といった記譜にもよく出くわす。

バートカンデ記譜法がうまれたのが今からたった200年前で、西洋の五線譜が完成した時代よりずっと後だということに気がつく。さらにそれが浸透したのはごく最近の話で、大師匠(師匠の師匠)くらいの時代からと思われる。
実は私のタブラの師匠も、書いて記録することを否定することまではないにしろ、教えるときにご自身で書いてみせたことは一度もない。(声楽の師匠は、歌詞、拍節記号、ときたま旋律をノートに記譜してくれる。それがこの記事のトップの画像)

そういえば、インスタライブでこんな話をしていたら、伝統的な箏の世界においても同じで、千絵子さんの師匠の師匠くらいから記譜が普及し始めて、それまでは嫌がっていたらしい。
その理由が、楽譜・記譜ではニュアンスが伝え切れないからだ、というのは明確である。

逆に言えば、記譜の曖昧さのおかげで口承の重要性が保たれている、ともいえる。


さて、インスタライブでも話したが、コルカタで大学生をしていたときの話。「ワールドミュージック」という科目があって、その中の「ジャパニーズミュージック」の授業で、「日本では昔は縦書きの楽譜を使っていたが、現在の日本の音楽教育は、西洋音楽の理論で行われている。」という講義があった。
え〜?!わざわざそんな紹介のされ方ってある?!と、なんだか微妙な気持ちになった。

しかしよく考えると納得。それはインド人にはとても不思議なことなのだ。だってインドでの音楽教育はインド音楽理論の上で行われているし、インドの記譜法で学んでいるから、五線譜なんて知っている人の方が少ない。五線譜っぽいイラストが描かれていたのでよく見ると、線が6本あったり、音符が変な方向を向いていたりする。大学院になってわざわざ「staff notation(五線譜)」の科目があるのも驚いたが、ほとんどがそこで初めて学ぶようだった。試験でラーガやターラを五線譜に置き換えるという問題が出題されていたのは、本当にヘンテコだなあと思った。
だから、普通に考えて、日本人は伝統的な縦書きの楽譜は読めるけれど、五線譜は読めないだろうと思われていたのだろう。

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大学のクラスメイトたち。

私たちが当たり前と思ってた学校の音楽教育だけれど、これって戦後の変化なのだね。・・・楽譜を読めば、一応演奏できるようにはなったわけだ。でもニュアンスまで読み取ることはできず、そこは自分で努力しなければならない。

そんな話をしつつ、私も日本の縦書きの楽譜が読めたらよかったなあといったところ、千絵子さんから、縦書きの楽譜といっても楽器それぞれで、箏と尺八では全然違うんですよとおしえてもらった。無知でお恥ずかしい。つまり、楽器の演奏法を文字や数字で表した楽譜なのだよね。

千絵子さんがちらりと見せてくれた、オイリュトミーの楽譜は、絵のようで美しかった。


 




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