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こま子の備忘録な闘病記〜胞状奇胎から侵入奇胎〜1

治療の終了から4年が経った。ずっとやろうやろうと思っていて出来なかったのだけど、重い腰を上げて自身の備忘録として闘病記を残そうと思います。

わたしのあやふやな記憶を辿りながら書くので、胞状奇胎という病気を知りたいなら病名で調べてもらって産婦人科等のページで読んでもらった方が、正しい知識が得られます。

4年と少し前、本当に自分で褒めてあげたいほど頑張ったししんどかったけれど、慰めとか不幸自慢でなく、備忘録として、またいつか振り返れるように、あの時の気持ちを思い出しながら、なるべく重くならないようにサラッと書きたい。お暇な方はお付き合いください。

発症と診断まで

予定から2週間ほど生理が来ないなと思っていた。たまーに遅れる事はあるので、別にあんまり気にしてなかった。

1ヶ月と少し経って、わりと暗めの少量の出血。あ、来た来た、と思った。

なんかだるいし、えずくし、「ちょっとなにそのお腹。太りすぎちゃう?」と旦那に茶化されるほど、下腹が誇張無しにキューピーみたいにぽっこり出て来た。変な体型やなって自分でも笑ってた。

とある日曜日、寝転んでも起きてもお腹が痛くて痛くて、いつも大概の痛みには耐えれるんだけど、トイレに駆け込んで吐いて、旦那に頼んで休日診療の胃腸内科に連れてってもらった。ビニール袋を握りしめて、待合のトイレでまたちょっと吐いた。診察に呼ばれる頃には急に楽になって、触診と下腹エコーしてもらったけど、結石も無いし、なんだろねってなった。先生からは「女性だから婦人科行った方がいいかも。」て事だった。まあでも、痛みも落ち着いちゃったので、そのまま1週間と少し放置する。

生理がちゃんと来ない。あの出血が生理でなければ、もう2ヶ月以上来てない。ドキドキ、ほんの少しワクワクしながらドラッグストアで検査薬を買った。緊張しながら、説明書をチラチラ見ながらトイレで結果が出るのを待つ。「陽性」の縦線がくっきり出て、感情がぶわっと嬉しさが一番大きくて、よくみるあの写真を自分で撮った。旦那に伝えると、「気ままな2人暮らしも終わりかあ」と何故か少し嘆いていたけど、休みに産婦人科について来てくれた。

近所の産婦人科の診察室で、いくつか質問を受けた後、ひっくり返ったカエルポーズを強制されるあの診察台に座らされて、カーテンの向こうで先生がエコーを入れる。何かひそひそと呟いて、何故かもう1人先生が来たのが分かった。2人で「これって……」とひそひそと。ひっくり返ったカエルは、頭に疑問符をたくさん浮かべながら、でも、ああこれは「違う」んだという事だけ、強く感じた。

診察台を降りて、先生の説明を聞く。何を言われたか、あんまり覚えていない。「違うんだ」と思ったら、涙がポロポロ溢れてきて、看護婦さんがティッシュを渡してくれた。拭いても拭いても溢れて来た。なんならこれ書きながら今も泣いてる。採血するって言われて待合で待ちながらやっぱり涙は止まらなくて、幸せそうな夫婦や赤ちゃんを抱いた女の人たちに囲まれながら、ずっとポロポロと。旦那に抱き寄せられて、またはらはらと泣いた。少しの恥ずかしさと溢れる悲しみで胸が苦しかった。

採血台で看護婦さんと一言二言話したら、また涙が止まらなくなって、ボックスティッシュを慣れたように出してもらって「いいよ。泣きなさい」と言われてありがとうございますって言いながらわんわん泣いた。

2へ続く!

思ったよりも長くなりそうだし、わりと書くのしんどいので、一旦切ります。

今はもう治ってます。大丈夫です。続きもちゃんと書きます。はい。どれだけの量になるか分からんけども、よろしくです。

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