見出し画像

ダウン症の弟のためにアプリを作った話

こんにちは。ジーズアカデミー東京DEV24卒の石田 奈奈子です。
このnoteはジーズアカデミーに通う人を励ますために書きました。私はGGAに出たものの、正直言うとびっくりするほど抜けていたり、要領も悪い人間です。
自分がいかに出来なかったかも隠さず書くので、疲れたときや煮詰まったときに、こんな人でもGGAに出たんだ、と読んでいただけると幸いです。


ダウン症の弟と育った子ども時代

私は施設に入所しているダウン症の弟のために、施設向けのプロダクトを開発しました。(今も開発中)。物心つかない頃から弟と一緒に過ごしましたが、一緒に成長する中でも様々な葛藤がありました。

弟は私の一つ下なので、子どもの頃から弟と一緒に過ごすのが当たり前でした。しかし私が小学校に上がる前から、私の弟はどうやら他の子とは違うことに気付いていきます。
(たとえば、言葉を話さない・食事やトイレも介助が必要など…)
「親がいなくなったらどうやって弟の面倒を見ればいいのだろう」と漠然とした不安を感じることもありました。

ある時母が「(弟に)障害があると分かったとき、ショックだった」と話していたのを覚えています。
子どもの頃は、「弟もみんなと同じように学校にも通えているのになぜそんなことを言うんだろう」と疑問に感じていました。

しかし、私が進路を決める時に
「自分の行きたい大学を選んだらいい。弟は入った施設で多分一生を過ごすことになるけど(あなたは)自由に決められる。」と母に言われ、
弟が今後どこで人生を過ごすか、弟の意思に関係なく決められていく、
私には自由があって、弟には自由がないように感じました。

振り返ると、ここで感じたことがプロダクトの原点になっているかもしれないと思います。

きっかけになった弟のケガ

弟は言葉を話さないので理由は分かりませんが、
・家ではごはんを食べるのに学校では食べない
・麺類しか食べない
など、子どもの頃から食事への強いこだわりがありました。

基本的に弟はずっと痩せており、子どもの私も心配するほどでした。
前ぶれは分かりませんが、ある時から弟が家で全く食べない時期が続き、
このままだと命に関わるので施設に入ったのが入所のきっかけです。
弟は現在も施設で暮らしています。

しかし、その施設で弟は強度行動障害の(他人を傷つける行動等をする)利用者さんに腕を噛まれてケガをするようになります。
しかも1度ではなく月に1回のペースです。

私は、
・なぜ弟は辛い思いをしなければいけないのだろうか
・なぜ親は弟が産まれてからずっと苦労をしなければいけないのだろうか

と感じ、
これからの人生でこれを解決したいと強く思いプロダクトを作ることを決めました。

決まらない企画

私はプログラミングは全くの初心者でジーズアカデミーに入りました。
大人になってからこんなに挫折感を味わいながら、それと同時にたくさんの人に助けてもらいながら、何かに打ち込んだ経験は初めてでした。

動かないコードに苦戦し続けたのはもちろんですが、私は何を作るのか?についても苦労しました。
「弟が辛い思いをしないセカイ」「障害をもった子の親が泣かなくてもいいセカイ」を作りたいのは決まっていたのですが、どうやったら実現できるのか分からなかったのです。

卒制期間に入って同期が続々とプロダクトを作っている中、私だけプロダクト案が決まらず、コードを書けない日が続きました。
そんな中、同期から、インタビューができるユニーリサーチ(https://unii-research.com/business/)アンケートに優れたクラウドワークス(https://crowdworks.jp/)を紹介してもらい、障害者施設で働く方々に話を聞くことができました。
私のためにわざわざ時間を割いて壁打ちをしてくれた同期には本当に感謝しています。

ようやく書き出したコード

ようやくコードを書き出したものの、Laravelには苦戦しっぱなしでした。
私が現役の時は、卒制の進捗報告会がありましたが、出来上がりつつあるプロダクトを同期が発表する中、私だけパワポのプロダクト案を見せていました。
「この人何してるんだろう」と思われても仕方ないような状態でしたが、
同期の顔を見ると、追い詰められた心が少しだけ和らいだので、懲りずに参加していました。

それからチューターさんや同期ともくもくした甲斐があり、やっとLaravelが分かってきた頃、メンターさんに壁打ちをしてもらうと、
「見た目が1990年代の使いづらいプロダクト」「もっと大きなビジョンを掲げたほうがいい。出来ると思いながらやろう」とアドバイスを受けます。

卒制提出の13日前の状態
当時の私はこれが精いっぱいでした。

私は知らず知らずのうちに、今の自分でも出来る範囲内でプロダクトを作ろうとしていたことに気付きました。

それから私は、使いづらいプロダクトを作っても何も解決できない、と思いOCR(画像認識)を実装することを決めます。
卒制提出の約10日前のことです。
卒業できないかもしれないと絶望しましたが、ここでメンターさんに背中を押してもらえなかったら、
自分にはOCRなんて出来る訳ない、とやる前から諦めて、妥協したプロダクトで終わっていただろうなと思います。

動かない画面

それからOCRを実装するために、平日は2時や3時、ひどい時は4時まで、
土日は朝起きてから夜寝るまでずっとコードを書いていました。
それでもエラーが出続け、見た目や機能が1ミリ程度しか変わらず、
こんなに時間を捧げているのに、プロダクトの機能・出来栄えが全く見合っていませんでした。

何とかOCRの機能はつけて卒制を提出しましたが、つけたい機能のほんの一部しかつけられず、見た目も綺麗ではありません。
「せっかく機能が出来ていても、見栄えが良くないと評価が低くなる可能性がある。」とメンターさんにアドバイスを頂き、
センスがゼロでも、人にアドバイスをもらいながら少しずつ画面はマシになっていきました。

プロダクトの画面
左:卒制提出時 真ん中:セレクション時 右:GGA時


私がセレクションを通過する見込みは薄いのに、メンターさんは何度も時間を割いて一緒にプレゼンのストーリーを考えてくれたり、
プロダクトのデザインの作り方を(既存のアプリを真似して作ったらいい等…)私でも分かるように教えてくださいました。

自分が出来ないがために時間を取らせてしまっている申し訳なさと、
言葉にできない有難さを感じていました。

GGA前

それからGGAに出るまでは、メンターさんを始め、チューターさん・卒業生の方・同期に何度も壁打ちをしてもらいながら
何回もプレゼンを練り直しました。

私はスライドも下手だったのですが、canva(https://www.canva.com/)を
使うことで、視覚的に見やすいスライドを作ることができました。
デモ動画もcanvaを使って作りました。

左がセレクション前、右がGGAで使ったパワポです。
センスが無さすぎて当時はどこを直したらいいのかも分かりませんでした。

色々な人に壁打ちをしてもらうと、自分では気づかなかった考え方に気付くことができます。私が3位に入賞できたのも壁打ちをしてもらったからです。
しかしもらったアドバイスを全部詰め込もうとすると、発表時間の5分では到底足りません。

GGA前日もほぼ徹夜で動画を調整したり、言葉を少しずつ削ったりしましたが、
本番当日の朝になっても、とうとう5分におさまらない状態のまま大阪を出発しました。
アドバイスをもらいながらも、その中で何を伝えるのか、最後は自分で選ぶことが大切だと感じました。

それからもギリギリまでパワポを調整し、本番は不思議なことに緊張しませんでした。

まとめ

「謙虚に色々な人の力を借りられるのは、ななこの良い所だね」
これはGGAを見てくれた友人が私に言った言葉です。

それが出来たのは、メンターさん、チューターさん、同期、卒業生の方が懲りずに何度も力を貸してくれる人たちだったからです。
一生かかってもこの人みたいになれないんじゃないか、と思う尊敬する人にも出会うことができました。
「応援してるよ」という言葉だけでも頑張ろうと思えました。

私のプロダクトは、音声入力が完成したのはセレクションの前日、GGA当日の朝も発表時間5分におさまっていませんでした。
エラーで苦しんでいてもギリギリまで粘れば何かのきっかけで解決することがあります。現役生の方はぜひ最後の最後まで自分の作りたいものをあきらめないでほしいと思います。
(↑偉そうに書いてしまいましたが、そう言える自分でいられるように頑張りたいと思います)

GGAからかなり期間が空いたタイミングで上げてしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?