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というわけで服の話

そうです。というわけで服の話なんである。
なぜnoteを書いてみようと思ったかというと、服について考える時間が増えたからです。

思春期の頃、光野桃さんの書かれるおしゃれについてのエッセイに出会い、本を何度も読み込んだ。
光野さんは、ファッションとはその人の内面、ひいては生き方を無視しては成り立たないものだと繰り返し丁寧に語っていた。
田舎の高校生だった私は感銘を受け、大人のおしゃれに思いを馳せ心をときめかせたものの、どんなにその素敵な文章を読んでも自分自身はダサいままだった。
思うに、実践が圧倒的に足りなかったのだ。
地方在住で、雑誌に載っている服なんて幻かのように遠くにあり、お金もない。
服は必ず着ないとならないものなのに、何故こんなに高いんだろう……当時そう思っていた記憶がある。

時を経て、気付けば私は(年齢だけが)立派な大人になっていた。
おしゃれは良く分からないが服はやっぱり好き。
手持ちのアイテムに不満がゼロなわけではないがそこそこ満足していた、と思う。


昨年だったかな、どう辿り着いたのか忘れてしまったが、あきやあさみさんの自問自答ファッションと出会った。

読んでいてとてもわくわくした。
内面にぴったりな装いというものについて書いてくれてあって、且つ実践方法が具体的に示されている。
こういう服の話が読みたかったんだと思った。
自分を掘り下げるのは大変そうだけど、自由の良い匂いもする。なんだかわくわくする(2回目)。
ええ、ええ、もうね……、高見えプチプラ服とか脱おばさんコーデとかの話は読みたくないんだよあたしゃ……。なんか、なんか、心が荒むんじゃ……。

自分の今の服装、気に入ってはいるけど、『お気に入り』の度合いを上げたい。そう思った。


で、今年になって書籍『一年3セットの服で生きる』も出版されたのです。

もちろん購入し、楽しく読んでいたのだが、ある箇所で私は自分の心がどんよりするのを感じていた。
それは【発信で自分の『好き』を知る】の項。
そう、自問自答してるガール達はブログやnoteで自身の自問自答について書いてる方が多い印象(もちろん書いてない方も沢山いらっしゃるのだろうが)。
私も読ませていただいているし、参考になる。
でも、
わたし、発信、苦手かもしれない……。

誤解を招かないように言っておくと、この項で書かれていることは決して
『み~んな発信しちゃいなyo☆』
と笑顔で強制自己開示を迫ってくるアレではない。
詳細が気になる方は本を読んでほしいが、人に説明できるくらいの言語化を試みると自分の好きなものが明確になる、というお話だ。

問題は、『発信』と聞き、それを考えただけで暗い気持ちになる私自身にある。

私は自己開示が苦手だという自覚がある。
高校時代、美術の勉強をしたくて芸術科のある学校に通っていた。自分の本質は描いた絵に表れていると思っていた。
大学では小説を書きたくてそういう学部に行った。自分の本質は書いた文章に表れていると思っていた。
とっくの昔に絵を描くことも小説を書くことも辞めてしまった今、自分を表す方法が良く分からないまま生きている気がする。

好きなものの話は、好きであればあるほど口に出すのが慎重になる。
自分のこと、分かってほしいようなほしくないような……
語るなら正確に伝えたい、でも相手を選びたい場合もある(わがまま!)。

で、気付いてしまったのですが、これってね、
100%満足するクローゼットを考えよう! となったときに私が悩むポイントと一緒なんですよ。
あーやだやだ。

私は好きなものはわりとはっきりしていると思う。
でも、自分の内面を、
どこまで表現するのか、
或いはまったく出さないのか、
それは相手によって変えるのか変えないのか。
答えはまだ出ていないが、これは他でもない自分が自由に決めることなのだろう。
多分だけど……、私はもう少し、相手の反応を気にせず、これが自分です! とデデーンと生きたいんだと思う。
私のブレイクスルーポイントはここにある気がする。
そんなわけで、ひとつ前の最初の記事の『自己開示の訓練としてのnote』という言葉に繋がるのです。


私にとって装いを考えることは世界との関わり方を考えることだったらしい。
自分という人間のいちばん外側。
世界との隔たりでもあり、接点でもある。

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