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かわいいは正義

ペンギンという生きものが好きだ。まずあのビジュアルがいい。白黒の羽毛によちよち歩き。僕のハートをわしづかみにするために生まれたかのような生きものである。しかし生態学的視点で考えると、ペンギンの色づかいやフォルムは、まことに理にかなっている。

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そもそもなぜペンギンは白黒のカラーリングになっているのか考えてみる。ペンギンのおなか側が白いということは、水中で泳ぐときは下側が白いということになる。ペンギンは南極海の水中で小魚などの獲物をとって暮らしているのだが、小魚たちはおとなしく座してペンギンに食われているわけではない。彼らとしても全力で逃げてやろうと必死なのだ。そんな小魚に襲いかかるとき、ペンギンのカラーリングは有利にはたらくのである。

読者のみなさんは、ダイビングや素潜りなどをしたことがあるだろうか。水なかから上を見るときらきら光っている。水のなかから見る太陽は、なんだかゆらゆらぼやけた白いかたまりのように見える。これがペンギンのカラーリングのヒントであり、下から上を見上げる魚たちに対して、白いおなかというのはカモフラージュの意味を持つのだ。

みなさんは、水面から海中をのぞきこんだことがあるだろうか。ある程度深い場所をのぞくと、奥のほうは青から群青色、そして黒というグラデーションを描いていく。水は光を急速に吸収していくから、深いところには光が届かなくなり、黒っぽくなるのだ。そう、ペンギンの背中が黒いのは、上から見ている魚に対するカモフラージュになっている。ペンギンはエサをとるためにたいへん深く潜ることもあるので、背中側でカモフラージュするのも大事なことである。

「そんな子どもだましのカラーリングで野生の魚がひっかかるものか!」なんて批判もあるかもしれない。たしかに、静止画で水中のペンギンの写真を撮って落ち着いて鑑賞するならば、ペンギンを特に天敵としていないわれわれ人類でもペンギンを見分けるのはたいへんたやすいことである。しかし、エサとして食われるか首尾よく逃げおおせるかはコンマ1秒の世界である。ほんの一瞬スタートダッシュが遅れることが命取りになるのだ。

もしも、水面の太陽の白いゆらゆらと見間違えさせるカラーリングで、魚からまばたきくらいの時間を奪うことができるとしたら。それくらいのわずかなメリットが、ペンギンに生存と繁殖という多大な恩恵をもたらすだろう。そしてそれは有利な特徴として自然淘汰で選ばれて子孫に受け継がれていく。こうしてペンギンのかわいらしいあの色合いができるのである。

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ペンギンのフォルムだって生物進化で生まれたものだ。丸っこい体で陸上ではよちよち歩きをするんだけど、水中では素早くスイスイ泳ぐ。急な方向転換などもお手のものである。海を爆速で泳いでいるマグロなどとよく似たフォルムだ(※鳥類のペンギンと魚類のマグロのフォルムが似るのは海中という環境に適応した結果であり、このような現象を「収れん進化」という。)。いつも水中のペンギンに見とれてしまうので、僕と水族館に行く人は時間の余裕をみてほしいものである。

しかしペンギンは、ずっと水中で生きているわけにはいかない。ペンギンは鳥類なので、卵を産んで温めなければならず、そのためには陸上に出なくてはならないのである。水中にはペンギンの天敵である肉食のアザラシなども生息しているので、敵のいない安全な場所で休憩するという意味でも、陸に上がらなければならない。必然的に陸と海の両方での生活を強いられているペンギンたちだが、彼らは陸よりも海によく適応しているように見える。

海ではスイスイ、陸ではよちよち。陸が苦手なのは一目瞭然だ。その動きは愛玩動物としてはたいへんかわいらしいんだけど、きびしい野生でこんなふうにすきだらけなのはなぜだろう。

それを考えるために必要な生物学のコンセプトは「トレードオフ」である。水中を泳ぐのに有利な体形は陸上で不利になる。逆もまたしかりである。このように、「あっちを立てるとこっちが立たない」という関係がトレードオフである。それでは、トレードオフの結果として、ペンギンがかなり「水中寄り」になっているのはなぜだろう。

そこにもやはり、生物進化がからんでくる。生物はみな、それぞれの生存環境のなかで、ぎりぎりのベストを尽くして生きている。そして生物は、たとえ親子や兄弟でも、いくらかの個性(多様性)を持っている。同じ種のペンギンのなかにも、泳ぎが特にうまい代わりに陸を歩くのがめちゃくちゃ苦手という個体がいることだろう。逆に、泳ぎはいまいちだが陸上をすたすた歩く個体だっているだろう。

自然淘汰は非情である。

海で魚を獲るのが苦手な個体は、自分も子どももおなかをすかせることになるから、子孫を残すのがむずかしいだろう。歩くのが苦手な個体は繁殖地までの道のりで力尽きてしまうかもしれない。それぞれの個性が生み出すリスクを背負いながら、ペンギンたちは必死に生きているのである。そして、どれだけ首尾よく子孫を残せたか(※ 専門用語で「適応度」という。)という尺度で彼らの持つ個性が有利か不利かは評価されることになる。

いま生きているペンギンたちは、過去のペンギンの歴史で無数の個体が淘汰された結果であり、適応度という総合得点でベストな結果を残してきたものたちなのだ。適応度は環境が決める。ペンギンたちの泳ぐ南氷洋では、あのフォルムがベストであり必然なのである。

もちろん、ペンギンたちの一行が熱帯雨林やサバンナにやってきたら、彼らは一瞬で絶滅するだろう。彼らを襲う肉食獣がいくらでもいるからだ。ペンギンという生きかたは、トラやライオンがいる陸上にはまったくそぐわないのである。だからペンギンたちは、肉食獣のいない孤島とか南極大陸とかで繁殖することが多い。そのような環境では陸上の敵から逃れる必要がないため、よちよち歩きでも大丈夫なのだ。

ペンギンたちの壮絶な生きざまと、生存と繁殖のために研ぎ澄まされた一片の無駄もないカラーリングやフォルムについておわかりいただけただろうか。彼らはかっこいいのである。

戦闘機や日本刀とおなじ意味合いで、たたかうために生まれたフォルムをまとっている。しかしそれは、人間から見たらいとおしくて仕方がないくらいかわいらしいものなのがおもしろい。

ペンギンは、別に人間から愛されるためにああなったのではないにもかかわらず、僕をメロメロにする最強の生きものなのだ。僕はこの自然のいたずらに感謝する。

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