最終話 体調を崩してみて

コロナで大きく体調を崩したこの1週間で、私の考え方には多少変化が起きた。
ここではその変化について書き留めておこうと思う。

端的に言うなら、人間何もしなくても何とかなるな、という考え方になった。

コロナに罹る前まで、私は毎日を、ひいて残りの学生生活を充実させなければならないと思っていた。そのため常に何か予定を入れたり、筋トレか勉強をしてレベルアップすることに拘っていた。
当然この考え方は正しい。
人間つねに何かしらの進歩が必要だと、偉い人も言っていた気がする。

コロナになってから、私の生活は睡眠かYoutubeの2択になった。
安静にしなくてはならないため当然の生活スタイルではあるのだが、「有意義」とは対極の過ごし方である。

そしてこの生活を一週間ほど続けると、何もしなくても生きていけることに気が付く。
意義のない暮らしには耐えられなかった私も、ただひたすら時間を浪費するだけの暮らしも悪くないと思うようになった。

「有意義」に縛られた生活は息苦しい。
努力も、遊びの予定も、それ自体にではなく、「生活に意義をもたらす」点に意義を感じてしまうようになっていた。

また将来についても、お金持ちになって、きれいな人と結婚して、そのためにたくさん努力して…、などのことを考えていたが、これはそれらが自分にとって望ましいからではなく、望ましいとされているから目指していたにすぎなかったと気付いた。

これからは、「意義のないこと」を基準点として考えたい。
そうすれば、人生のハードルを無理やり自分で引き上げるということをしなくて済むからだ。

「努力して当たり前」という姿勢は成功のために不可欠だが、そもそも私に成功は必要なのか。そこから考え直すのも重要ではないだろうか。


この夏休みでやりたいことを書き連ねた時の私にとって、一週間なにもできなかったという事実は耐え難いものだろう。
しかし、何もしないというのもまた、今しかできないことの一つである。
小学生以来の「無意義」を存分に楽しもうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?