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2020年12月23日 新しいスケジュール帳

来年のスケジュール帳を買う。
新しく、真っ白な、2021年。気後れしてしまうほど。
まだ何も決まっていない、楽しいことも、悲しいことも、それでもフレームだけ与えられている。これから埋まっていく1年を約束されたような健全さを感じながら、何にも書いていない2021年をパラパラと眺める。

スケジュール帳はタスクを管理する現実的なツールであるけれど、楽しみにしている目印を記す希望でもあり、気になることや絡まった事柄を解く過程を細々と書き留めておける自分だけの心の友でもあり、何があるかわからないけどきっと自分に訪れるであろう時間の枠組みだけが書かれた未来へのチケットのような存在だ。

今決まっている2021年の予定を真新しいスケジュール帳に書き込む。
舞台や映画、案外もうわかっている楽しみがたくさんあるんだと気付かされる。
そして、この楽しみは、当たり前にやってはこない。
「きっと」であり、そのきっとは「奇跡」なんだよなぁ。嬉しい予定に浮かれてしまいそうな自分に重しを結ぶように思いを改める。

少し前の情報だけど、今日になって拾うことのできた嬉しい映画の話。ウエストエンド版だけど、きちんと全ての場面を見ることができるのは本当に嬉しい。作品を愛していた春馬くんの思いが寄り添ってくれるような温かさを感じて、本当に嬉しい。
応援している人が携わっている作品を見ることも幸せだけど、その人が感銘を受けたものを共有できることも大きな幸せだよなぁと思う。


好きな人が好きなもの、影響を受けたもの。
思考や嗜好、全部知りたい、受け止めたい。
失ってからだからこう思うのか。空いた穴を埋めるべくの反応なのか。この欲求の根っこにあるのは何なんだろう。
春馬くんの家の本棚やスマホの中のプレイリスト、見せてもらいたかったな。




ミスチルの『over』で桜井さんが

君を形成(つく)る全ての要素を
愛してたのに

と歌っていた。
今となっては、そのカケラを拾い集めるしかできない「要素」だけど。仕方がないね、もうこれからはそうやっていくしかないんだから、と自分に言い聞かせる(「愛してたのに」なんて、自分の思いを重ねるにはおこがましいにも程があることは重々承知の上で)。


『over』の泣けるところは、あんなに考え過ぎて空しくて、それなのに「たぶん僕は忘れてしまうだろう」とそこまでを言葉にしているところ。それぞれにそれぞれの未来がある別離とは違うけど、こんなにどうしていいかわからなくて、なんとか落とし所を見つけようとあっちにもこっちにも振り切れる気持ちをいなしてもがいているのに、きっといつかoverで描かれているのとおんなじように、こうやってもがいた時間だって忘れてしまうんだろう。

それを受け止められるのか。悲しさの向こうにあるものを受け止めることができるのか。また、答えの出ないぐるぐるに苛まれてしまう。

色々あるけど、きっとうまくいくよね。
新しいスケジュール帳の前向きさに、これから埋まっていく時間を約束されたような健やかなパワーに励まされる年末。
12月23日、祝日ではないんだと今更「令和」を感じながら。

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