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2021年1月24日 拍手が届くように

つい先日、年末だお正月だと思っていたのにもう1月も終わりが見えてきた。刺激のない毎日はあっという間に過ぎ去っていく。


上演される3月には状況が好転しているだろうという期待と共に楽しみにしていた劇団ヒトハダの公演について、先日残念な知らせが届いた。
仕方のないことだし、そうするしかないことだし、それをどこかで覚悟もしていた。小さな劇場でのお芝居だからこその決定だったのかもしれない。

頭ではわかっていても、具体的な日付の決まっていた楽しみ(日付だけでなく、これ以上ないっていう座席の番号までわかってた)、が「いつの日か」へ延期されてしまったことはやっぱり残念で、それを何のせいにも出来ない手応えのなさ、誰も悪くないのにみんなが残念な思いをしている「なんだこれ感」、あーまたかーという脱力感が押し寄せる。

昨年からの一連の流れが原因で楽しみが取り上げられることって、それ自体もすごく残念なことだけど、残念に思うことがいけないこと、こんな時に映画だ舞台だ言ってはいけない、みたいな、誰もそうは言ってないけどいつ誰かがそう言い出してもおかしくないような空気が、窮屈というか、なんと言ったらいいのか、息苦しい、そう息苦しいなと思ってしまう。



楽しみがガサリと欠けた時、私の行動力は増す、この一年で気が付いた自分の新たな一面かもしれない。
何か埋められるものを、と探した結果、WATERS takeshiba内に10日にオープンしたばかりのJR東日本四季劇場[春]に「The Bridge ~歌の架け橋~」を観に行くことにした。


歌とダンスの華やかなショー。
たくさんの人がきっと耳にしたことのあるメロディー、それが思いのこもった歌声でなぞられ真新しい劇場いっぱいに響く。美しい衣装を纏ったエネルギーに溢れるダンスがステージいっぱいに広がる。
90分の上演時間中、劇場はキラキラが溢れ出す宝箱のような空間だった。冷たい風が吹き抜けていた心の隙間に、カラフルで弾むようなしあわせが注がれるあたたかい時間だった。


ショーの冒頭と歌の合間に詩人の吉原幸子さんの長編詩「ハングリー・キャッツ」が朗読される。

目が 耳が 心が
からだ中の血が 飢えていたのだ
ほんとうのことば
ほんとうの声
ほんとうの音
ほんとうの色とかたち で
築かれる 大いなる幻
鳴りひびく 大交響楽
まるごとの月に!

<略>

得たものをいつも次の夢に賭け
こわしながら築き 築きながらこわすからこそ
幻の塔は 果てしなく高く
月への道は 果てしなく遠い
だから 猫たちは
永遠に青春なのだ と

「The Bridge〜歌の架け橋〜」というタイトル、「さあ、新しい物語をはじめよう。」というコピーの、その思いと祈りの根元にあるもの。
共鳴できる心を持っていたい、と、美しい音楽を、心に響く言葉を頭の上から浴びながら思う。舞台を観るたびそう思うことを繰り返し、私のその思いは、繰り返し鍛えられた皮鉄のように均一で硬く強くなる。



「想像力」を、改めてこの作品から頂きました。そんな力を共有できたら、豊かな心づくりをし合えたら嬉しいなという思いでもお芝居をして参りました。お芝居の場所はそういった想像力を共有する場所だと思っています。


2020年2月27日  高橋一生さん


舞台に無観客試合はありません。


2020年3月27日  渡辺謙さん


やっぱり僕たちが演劇を信じること……僕はこの産業は、とても血の通った仕事だと自負しています。


2020年3月27日  三浦春馬さん


感染症の得体の知れなさが気味の悪い恐怖となり、いろんなものが考えられない振り幅で振り回されていた2020年の春。舞台の上で放たれたそこに生きる覚悟を持った人たちの言葉が、ずっと心に残っている。誰よりも振り回され悔しい思いをしやりきれなさを抱えた人たちが、目の前の喪失感を抑え、自分が選び歩み努力し希望を見出してきた道への思いを真摯にでも静かな強さを持って紡いだ言葉。

彼らの望む壇上からの景色って、どんなだろう。演じ終え、役から俳優へ戻ったその一番初めに見たい景色って、どんなだろう。
彼らの本当に見たい景色が広がる日が戻ってきますように。それまでの間、埋まらない座席もあるだろうけど、その空席の分まで精一杯最大級の拍手を届けよう、と改めて思う、今回もまた満たされてふわふわしながら地上階まで階段を降りる(四季劇場[春]は建物の3階にある)ことになった、2021年の観劇初めだった。

外階段を降り、足元の海や向こうのタワーマンションがよく見えるテラスで少し景色を眺める。
東京の海、ベイエリアの景色。すぐそばの汐留からどう見えたかなとまた絡まりそうになる思いを振り切るように駅へと向かった。


***


noteのいいところ、「マガジン機能」を活用しよう、と日記としてテーマを絞らず思うままに文字にしてきたものばかりの投稿から、春馬くんに関するものをまとめることにした。
残してきた自分の気持ちは、悲しさしかないものも少し落ち着きを感じられるものも、本当に行ったり来たり。でも、格好つけずその時の思いをそのまま思ったその日付と共に残せたこと、よかったなと思う。なんの役にも立たない、彼を応援することに繋がることもない自分の気持ちしかない文章だけど、自分にとって自分の気持ちの軌跡を残すことの意味を感じるマガジンになった。

一通りマガジンに追加し終えて改めて一覧を表示させたら、収められた投稿の数がぴったり100本。
投稿がまとまってすっきりして、さらに100本ちょうどなんて、なんかいいことあるのかも。101本目、どんな内容になるかな。自分でもわからないけど、楽しみだなと思えることが、すでに「いいこと」だよな、と嬉しくなる。
このタイミングでマガジン機能を活用しようと導いてくれたのは春馬くんだったのかなと想像して、また、嬉しくなる。あなたの愛した産業に私はこれからも拍手を届け続けるよ、と思いながらマガジンの表紙、本のマークに続く「100本」の文字を眺める。






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