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2020年1月2日 集積所のamazonの箱

子どもの宿題の習字で使う半紙が足りなくなって、年始早々買い物に出る。あてにしていたお店に行ってみたらまだお休みで、次に思い当たったところには置いてなくて、想定より少し遠いところまで1人散歩がてら歩くことにした。


年末年始でゴミの収集はお休み、ゴミは出されていないのだけれど、通りかかった集積所にはひとかたまりの段ボールが置いてあった。平らに畳まれてamazonの段ボール箱にぴっちり詰められて。

amazonの段ボール箱は、依頼のあった商品と緩衝材を詰められて配送センターから依頼主まで配送されることが使命。でも今日ゴミ集積所で見たamazonの段ボール箱は、その使命を終えてもその形そのままに別の使われ方で存在していた、あのにっこりした表情のまま。収集日になったら、他の段ボール箱を詰められたamazon箱もそのまま全部再生紙として運ばれていくんだ、あのにっこりした表情のまま。


使命って、使命を終えるって、なんだろう。自分で思っているそれと誰かが決めたそれが一致しない時ってどこで折り合いをつけるんだろう。


そう生まれついていないから完全な想像なのだけれど、一際抜きん出て抜群に見目麗しくこの世に降りてきた人は、自分でどう思おうとその自分の外側に価値を見出されて、どう振る舞おうとも常にその姿は価値に変えられて、例えば好きな音楽にとっぷり浸かってその世界を楽しむ姿や大切な仲間と食事を楽しむ姿なんかも、純粋に自分が楽しいことをしているだけでも、その姿は価値あるものとされ求められてしまう。
内面で感じて考えてそれを外側を通して表現することを使命と捉え日々努力と研鑽を重ねてきても、もちろんたくさんの人にそれは届いて心を動かすんだけど、中には、価値ある外側を持つ人がやったこと、と捉えられてしまうことがあるんだろう。

価値ある外側は選ばれた人しか持たない天から授かった才能だけど、それだけで輝ける時間は残酷だけどきっと期限が決まっている。
その期間だけ輝くこととするのか、自分も周りもその先の価値の軸を変えて続いていくこととするのか、そうするためには何が必要でどこを目指すことにするのか、流れとマネジメントに身を任せていくこともできるだろうけど、悩もうと思ったらとことん悩める状況なんだろうと、自分で自分の人生の舵を切りたい人はきっと晴れない靄の中を彷徨う気持ちになる時間が多いんだろうと思う。私が見える外側は変わらない麗しさのまま。


お芝居でも歌唱でも演奏でも朗読でも、その人のフィルターを通して表現されるものに心が動かされてそれを楽しみだと感じている1人として、自分にできることはなんなんだろうとまた立ち止まる。感じたことを形に残そう、本人に届かなくても、直接何かになることはなくても。もしかしたらどこかで何かの杭になることがあるかもしれないから。

ぽつんと置かれたamazon箱。どうして笑ったままなのよと思いながら。



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