見出し画像

「私は傍に居る」

2023年 11月

 長編映画の処女作『奈緒ちゃん』の上映が始まった頃、上映後のトークが大の苦手で、「話をしたり、文章を書いたりするのが得意でないから映画を創っているんで、話しは下手ですが勘弁してください…」と前置きの言い訳をして話をしていたっけ。

 自主製作・自主上映の映画創りをやり続ける中で必要にかられて話をしたり、文章を書くようになり、この頃になってようやく苦手意識を乗り越えることができたような気がする…。場慣れして図々しくなっただけかもしれないけど。
 人前で話をしたり、文章を書くことのそれなりの楽しさを覚えるのに、随分と時間がかかったし、今でも決して話しや文章が上手とは言えないかな? でも、時々文章を褒められたりすると、ちょっと嬉しい。話しは、あまり褒められたことがないけど…。

 つい最近、上映後のトークで拍手をもらったことがあり、何だか嬉しかった。
釜山国際映画祭「リクエストシネマ部門」に自作『いのちのかたち –画家・絵本作家 いせひでこ-』が招待され、主人公・いせひでこさんとのトークで、私が三十年来、毎月書いている「つぶやき」の一節を読んだら、会場から拍手が湧き起こったのだ。
 東日本大震災のことをモチーフにした、『いのちのかたち』の前に創った震災の記録、『傍(かたわら)』という映画に触れて書いたその一節…。

《私はあなたではない。
 私は私だ。
 しかし、あなたのことを私のこととして
 どう受け止めたらいいのかを、
 いつも思い続けたい。
 どこまで思っても、私はあなたではない。
 何も出来ない、何も言えないけど、
 私は傍に居る。
 そして、
 あなたは私の傍に居てくれる。》

 通訳の翻訳も良かったのだと思うけど、言葉の通じない異国で、言葉というよりも心が伝わったような気がして、その拍手に思わずお礼の気持ちで大きく頷いた。

 この「つぶやき」のタイトルは、「1.5人称の命」。三人称の死は、見ず知らずの人の死。二人称の死は、近しい人の死。一人称の死は、自分自身の死…。
 我がヒューマンドキュメンタリーは、「1.5人称」の立ち位置でありたい、と考え『傍(かたわら)』というタイトルは、まさしく「1.5人称」の在りようをメッセージしているように思い、書いた一文だ。

 近しい人を撮り続けて来た我がヒューマンドキュメンタリーの主人公の何人かが、この数年、旅立ってしまい、追悼上映会のような機会が増えている。何だかレクイエムを演奏し続けているような気分になったりする、この頃だ。
 私自身も、今年「がん」の手術を受けた。

 「1.5人称」という立ち位置に触れた一文を、自分ゴトとしてまともに受け止められるようになったと思い、読み上げたメッセージが、言葉も文化も違う異国の人々に伝わったことが素直に嬉しかったんだ。

 話しや文章を褒められて、その気になっているようじゃ、イカン!!
 映画を絶賛されるようにならなきゃな…と、映画の神様が怒っているかも。
 
 絶賛されなくてもいい…。
 たったひとりの人の、気持ちに、
 ちゃんと届くような、
 そんな映画が創れたら。

「私は傍に居る。
 そして、あなたは私の傍に居てくれる」

と、心から想えるような映画を創りたい。

(かんとく・伊勢真一)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?