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「いのちにありがとう」

 自慢の友人が、又ひとりいなくなった…。

 遠藤滋、映画『えんとこ』『えんとこの歌』の主人公。脳性マヒで三十数年間寝たきり暮らしで、介助の若者たちと「いのち」を生かし合う日々を送ってきた。

 75歳に成ろうとしていた。

 その日、息が止まり、もう駄目かもしれないという状況で耳元に大声で「エンドウ!!」と呼びかけた。介助者のみんなも「エンドウさん!!」と口々に叫んだ。
 そうしたら、振り返って戻ってくるように息を吹き返した…。聴こえたんだね。

 それから枕元で珈琲をたてて、ベートーヴェンの第九のCDをかけて、みんなで「エンドウ」の名を呼びつづけた。まるで合唱のように…。
 およそ三十分後、ゆっくり静かに息を引き取った。

 「いのちにありがとう」
 遠藤の口グセのようだった言葉を思った。

 出逢いは、学生時代の反戦デモだった。警官に追われて一緒に逃げた仲間だ。脳性マヒで足を引きずりながらも逃げ足は早かった。
 「自分は障がい者で目立つから…」と言って「殺すな!」という反戦ステッカーをカバンに貼って学校に通っていた。

 したたかで、強い奴だった。
 「弱さの力」そのものを生きているような奴だった。だから、ずっと生き続けるような気がしていた。

 遠藤が最も尊敬していた歴史上の人物は親鸞聖人。親鸞の教え「悪人正機」ならぬ「障害正機」を生きるのだ…とよく言っていた。
 大袈裟に聞こえるかもしれないが、遠藤は親鸞聖人にマサルトモオトラナイ人生を、生きて生きて、生き抜いて、逝った。

 「凄いよ、遠藤…」

 充分過ぎるほど、頑張ったと思う。

 逝去を知った何人かから、
 「遠藤さんはきっと今頃あっちで、悠々と歩いているように思います…。映画の中で、伊豆の海を笑いながら歩いていたように。」とメールが届いた。
 私は、もしかしたらあっちでも若者たちと“いのちを生かし合う”日々を送りつづけているような気がしてならない。
 人は、そんな風に生きて死ぬように思う。

 新作『いまはむかし』で親父のことを「映画にしがみつくように生きて死んだ…」と呟いたけど、誰もが何かにしがみつくように生きて死ぬのだと思う。 
 「いのちにありがとう」といつも言っていた遠藤は、見事に「いのちにしがみつくように生きて死んだ」…のだ。


 遠藤の遺言。

 「だって君は、ひとりで勝手に何かをやってゆくことなんて出来ないだろう?」


(伊勢真一)





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