見出し画像

伊勢の国

時は古墳の時代、私たちの産土の神「大若子命」(オオワカコノミコト)が倭姫命の御巡行のおり、自らの領する櫛田川以東の伊勢国を献上し、神国造となり、伊勢神宮大神主を兼ねました。神国造兼大神主は大若子命の子孫が代々継ぎ、古墳期より明治の時代まで続きました。

『倭姫命世紀』『豊受大神宮禰宜補任次第』による神宮創設時の伊勢国は櫛田川(松阪)より東とされた。

のち行政区分の関係で拡大縮小したが、本来の伊勢は櫛田川より東である。

画像1

おかげ手ぬぐい うまし国巡り: https://tokowakaya.com/collections/all/products/ise-shima-visit

「大若子命」(オオワカコノミコト)は、神宮の礎に尽力するだけでなく、遠征し数々の武功を掲げ、天皇より「大幡主」(オオハタヌシ)を拝命賜る。

「越国に荒振る凶族阿彦ありて皇化に従はず、取り平げに罷れと詔て、標の剣を賜ひ遣しき。即ち、幡を上げ罷り行き取り平らげて返し事を白す時、天皇歓び給ひて、大幡主命と名を加え給ひき。」

豊受太神宮祢宜補任次第

大若子命 初代伊勢国造の天日別命(アメノヒワケミコト)の五世孫で天乃御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の十七世孫



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?